<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>教室記録</title><link href="https://akarukimirai.amebaownd.com"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com</id><author><name>宮崎亮馬</name></author><updated>2022-02-10T13:17:26+00:00</updated><entry><title><![CDATA[とある幼稚園の現状とその元凶についての話]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/32329947/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/32329947</id><summary><![CDATA[これは、とある幼稚園に絞って書いているわけではないし、もっというと、別に責めているわけでもない。ただ、その現状から考えさせられたことがあるという感じ。とある幼稚園もそうであるが、イングリッシュ、プログラミングなど、近年小学校に導入されたカリキュラムを意識して、学習する幼稚園が増えている。さらに、そこに惹かれて入れてしまう方もいる。（１日のスケジュールがタイトなので。あまりけんかが起こらないというのは・・本当かどうか、ちょっと分からないから、控えめに書く）とある幼稚園では、生活という時間があって、その時間に時計の読み方を学習する。幼稚園年長さんの時期である。できないと注意されるそうだ。分解までやるそうだ、１と４でごま団子。とある幼稚園では、小学校入学が近いからといって、個人の机の上のスペースだけで自分の荷物（体育着やきていた服、それらをしまう袋など）を管理するよう指導される。もちろん、床に置いたりしたら注意される。とあるよう幼稚園では、制作の時間がある。その制作の時間に、のりの貼り方やハサミでの切り方を間違えると注意される。（制作の時間は、みんな同じようなものが出来上がる。それでいいのかと、よく知っているそこの年長さんに聞いたら、「だってそういう幼稚園だもん」と冷静に返ってきた）さらに、年長さんは、一年生入学が近づいているから、時間内で制作が終わんないと怒られる。さて、一体全体だれのための制作なのか。おまけでいうと、子どもたちの運動会のダンスは、前向きと後ろ向きを入れ替え、2回踊るそうだ。一体だれのためのダンスなのか。保護者に向けてのサービスで、子どもの人権はどこにいったのかと呆れてしまう。ここまでとある幼稚園のことを書いてきたが、ここで本当に言いたいことは、元凶はどこにあるのかということである。英語、プログラミングができなきゃ不安。時計が読めるようにしなくてはいけない。数だって、分かるようにしなくてはいけない。制作は先生に言われた手順でできるようにしなくては。時間に間に合うようにしなくてはいけない。こういう気持ちやニーズを作っているのは、小学校の方である。それが悲しくなった。ここには、主体的に生まれる楽しさは無い。もちろんそんなことを望んでいる先生ばかりでないことも知っている。スタートの時にできなくて大丈夫と、思っている一年生担任だってたくさんいると思っている。が、しかし、来年度の担任がわからない、準備の中で、「できなきゃいけない！」と子どもを煽る幼稚園が生まれるようなイメージが小学校にあるのではないだろうか。短い時間でご飯を食べれるようにならなきゃいけない。お箸を使えるようにならなきゃいけない。最近目にした入学のしおりで、ひらがなが読めるようにしてください。と書いてあるものを目にした。いろんな地域で、そうなってはいないだろうか。それが、入学後ゆっくり身につけるべきものであることを、多くの先生は知っているはずなのに。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2022-02-10T13:17:26+00:00</published><updated>2022-02-10T13:56:26+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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v><br></div><div>おうちの人に聞くと、</div><div><br></div><div>慣れてないだけ！！というわけである。</div><div><br></div><div>もっともっと良く聞くと、以前学芸会の時には大きな声で発表できていました！！となる。</div><div><br></div><div>なるほどと思い、心配させるような聞き方わしてしまったか？と我を振り返る。</div><div><br></div><div>集団に入らないことも特徴的だった。整列や、体育のときの集合、活動中などに、</div><div><br></div><div>とにかく、遠くの方にいたりする。</div><div><br></div><div>なぜ怒らないのかと思った同僚もいると思うのだが、怒る理由もないのだ笑</div><div><br></div><div>まぁ。避難訓練は困るが。</div><div><br></div><div>そんな彼女の生き生きを、目撃したのは、ある日の朝！</div><div><br></div><div>彼女はカメムシを捕まえて登校してきた。</div><div><br></div><div>みんな、うえー！！と大騒ぎ。</div><div><br></div><div>それは楽しそうな様子でもあった。</div><div><br></div><div>そして、ゆりかがにやーっと笑っているのも分かった笑</div><div><br></div><div>この状況をたのしんでいる笑</div><div><br></div><div>そして、彼女はカメムシを飼いたいという。</div><div><br></div><div>その場で、ゆりかにカメムシを飼うことと、虫かごを一つ渡すことの合意を簡単にとる。</div><div><br></div><div>いいよー！の声が多く、虫かごを渡した。</div><div><br></div><div>結局何を食べるのが。武村はいまだに分かっていない笑</div><div><br></div><div>とにかく草をあげていた。</div><div><br></div><div>ちょうど「なりきり作文」をやったときには、カメムシの気持ちを書いていた。</div><div><br></div><div>みんなに嫌われているけど、飼ってくれる優しい人もいたというような主旨の作文、笑</div><div><br></div><div>彼女のカメムシはそれから、ヌマエビへと移行し、生きもの係の人気が出る。</div><div><br></div><div>仲間と関わって、育てたり、新聞を書いたりが始まった。</div><div><br></div><div>ゆりかのせいではなく、メンバーの誰かがヌマエビの水に水道を直接入れ、全滅したりもした。</div><div><br></div><div>空の虫かごに、虫の折り紙を折り、入れているのも面白かった。</div><div><br></div><div>とにかく、ゆりかは生き物のことになるとよく喋るし、生き生きしていった。</div><div><br></div><div>学年末には、昔のことなど忘れたように発表なども堂々と取り組めるようになった。</div><div><br></div><div>そういえば、この子たちもダンゴムシブームが起きた。</div><div><br></div><div>あれしよう、これしよう、あーしよう、こーしようばかりの自分がいたが、</div><div><br></div><div>今年もきっと、子どもたちは面白いものを持ち込んでくる。</div><div><br></div><div>これでもかといわんばかりに笑</div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[色をぬくって？どうして？]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/15897011/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/15897011</id><summary><![CDATA[一度書き切った記事。だけど、とても上から目線に見えたため、文体を修正してアップ笑「色をぬく」これは、ある特定の人を指すわけでもなく、たくさん聞いたから、たくさんの人の言葉をさす。「年度末、色を抜きます。」学年末に、クラスの担任が終わる際に、そうするそうだ。この話を聞いていて、思ったことは、色とはなんだ？？ということ。聞いた話を、少しずつ並べてみる。・始業、終業の挨拶をしない。・コの字学級。・整列はあまり揃えない。・めあてを書かない。・教室移動、現地集合。ぼくには、主流に感じるが・・これを抜くというのだ。それが、来年のためになるというのだ。そう言う話を聞いたわけだ・・。そして、言わずにはおれない笑「はい！疑問点があります！笑」というところを今度は並べてみる。一つ目、クラスカラーが無色透明なんてあり得るのか？色を抜いた先の話である。そこにあるのは・・無色透明・・笑あり得るだろうか？さまざまな、学級での活動、授業を1年間行ってきた。こうすると楽しい。こういうことは、守らないといけない。権利と権利の衝突が起きた際の、解決方法。だれかの安心が危ぶまれたときの、話し合い。学級には、そこにいる子どもたちと作ってきた、文化がある。それも、1年間かけてである。そして、1年間クラスにいた、担任には、個性があり、教育観がある。大切なことを伝えるときに、その人にしかもち得ないエピソードを出したりしながら、過ごしてきたのではないだろうか。そこに色があるのは当然だと思う。色々言っているが、上記の危惧（抜かなきゃなぁと言われている、色々のこと）くらいのことなら、次の担任との出会いが始まれば、「秒」で抜ける笑二つ目の疑問に入る。さて、抜かなきゃいけない「色」なのだとしたら、なぜしてきたのか？という話笑始業、終業、のあいさつ。ぼくがしない（正確には、しない場合が多い）のは、単純に必要がないと思うからである。授業に差し障りない。と感じているからである。書く活動、前時の続きによるものなら、なおさら、始業と同時に各々が始めていた方が自然だと思う。ちなみに、始業、終業のあいさつの場合、子どもたちから始める場合も今年は多かった。専科とかもあるし、日直がしたい場合だってある。なので、しない場合が多かったというのが正確な言い方。こだわってないのが、正しい言葉。コの字についてだって意図がある。ぼくは、友だちの話を考えながら聞くこと、「耳を澄まして」「全集中」とか言いながらそれを伝えてきた。自分（武村）の話というよりも、発言している仲間の言葉を受け止めることを、優先的に伝えてきた。（正しくは、伝えようとしてきた）意図してやってきたことをやり切る方がよいその価値観の多様性こそ認められるべきだそしてこの色を抜く行為は、一見、足並みを揃えるように見えて、少数的なやり方に排他的な雰囲気をつくる。足並みを揃えるべきは、やり方じゃないのだどんな子どもを育てたいか考えることを大切にできる子に育てていくこういう「意識」のようなものこそ足並みを揃えるべきである。三つ目に並べる疑問は、本当に、残された貴重な時間を、こんなこと（というのは失礼か）に使ってよいのかということである。貴重な時間は、あと３日となった。偉そうに言った自分は、何に使うのか・・恥ずかしながらで書く。その貴重な時間を、棒に振りそうになる瞬間がある。それは、返すべき返却物のことで頭がいっぱいになったり評価項目を確認すべく、いわゆるあゆみ的な作業のことを頭の中心に添えてしまったり本当は、遊ぶべきだ笑あと３日・・できることを考えると４月の意識と繋がる。必ず、１日に全員とお話する。これは、おさえたい。あとは、なるべく笑顔で機嫌よくいたい。そして、学級集団を笑わす。笑いをとることはあと何度成功するか。この最後の最後に、クラスみんなで笑うという場面に一回でも多く立ち合いたい。あと３日、思い切り笑わせたい。笑わせにかかる。仕掛ける。今年度積み上げた、鉄板を振り返りながら笑どう考えても「色」を「色々」抜いている時間はなさそうだ。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2021-03-19T10:06:59+00:00</published><updated>2021-03-19T17:02:20+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>一度書き切った記事。</div><div><br></div><div>だけど、とても上から目線に見えたため、文体を修正してアップ笑</div><div><br></div><div>「色をぬく」</div><div><br></div><div>これは、ある特定の人を指すわけでもなく、たくさん聞いたから、たくさんの人の言葉をさす。</div><div><br></div><div>「年度末、色を抜きます。」</div><div>学年末に、クラスの担任が終わる際に、そうするそうだ。</div><div><br></div><div>この話を聞いていて、思ったことは、</div><div><br></div><div>色とはなんだ？？</div><div>ということ。</div><div><br></div><div>聞いた話を、少しずつ並べてみる。</div><div>・始業、終業の挨拶をしない。</div><div>・コの字学級。</div><div>・整列はあまり揃えない。</div><div>・めあてを書かない。</div><div>・教室移動、現地集合。</div><div><br></div><div>ぼくには、主流に感じるが・・</div><div>これを抜くというのだ。</div><div><br></div><div>それが、来年のためになるというのだ。</div><div>そう言う話を聞いたわけだ・・。</div><div><br></div><div>そして、言わずにはおれない笑</div><div>「はい！疑問点があります！笑」</div><div><br></div><div>というところを今度は並べてみる。</div><div><br></div><div>一つ目、クラスカラーが無色透明なんてあり得るのか？</div><div><br></div><div>色を抜いた先の話である。そこにあるのは・・無色透明・・笑</div><div><br></div><div>あり得るだろうか？</div><div><br></div><div>さまざまな、学級での活動、授業を1年間行ってきた。</div><div><br></div><div>こうすると楽しい。</div><div>こういうことは、守らないといけない。</div><div>権利と権利の衝突が起きた際の、解決方法。</div><div>だれかの安心が危ぶまれたときの、話し合い。</div><div><br></div><div>学級には、そこにいる子どもたちと作ってきた、文化がある。</div><div><br></div><div>それも、1年間かけてである。</div><div><br></div><div>そして、1年間クラスにいた、担任には、個性があり、教育観がある。</div><div><br></div><div>大切なことを伝えるときに、その人にしかもち得ないエピソードを出したりしながら、</div><div><br></div><div>過ごしてきたのではないだろうか。</div><div><br></div><div>そこに色があるのは当然だと思う。</div><div><br></div><div>色々言っているが、</div><div><br></div><div>上記の危惧（抜かなきゃなぁと言われている、色々のこと）くらいのことなら、次の担任との出会いが始まれば、「秒」で抜ける笑</div><div><br></div><div>二つ目の疑問に入る。</div><div><br></div><div>さて、抜かなきゃいけない「色」なのだとしたら、</div><div><br></div><div>なぜしてきたのか？という話笑</div><div><br></div><div>始業、終業、のあいさつ。</div><div><br></div><div>ぼくがしない（正確には、しない場合が多い）のは、</div><div><br></div><div>単純に必要がないと思うからである。</div><div><br></div><div>授業に差し障りない。と感じているからである。</div><div><br></div><div>書く活動、前時の続きによるものなら、なおさら、始業と同時に各々が始めていた方が自然だと思う。</div><div><br></div><div>ちなみに、始業、終業のあいさつの場合、子どもたちから始める場合も今年は多かった。</div><div><br></div><div>専科とかもあるし、日直がしたい場合だってある。</div><div><br></div><div>なので、しない場合が多かったというのが正確な言い方。</div><div><br></div><div>こだわってないのが、正しい言葉。</div><div><br></div><div>コの字についてだって意図がある。</div><div><br></div><div>ぼくは、友だちの話を考えながら聞くこと、</div><div><br></div><div>「耳を澄まして」「全集中」とか言いながら</div><div><br></div><div>それを伝えてきた。</div><div><br></div><div>自分（武村）の話というよりも、</div><div><br></div><div>発言している仲間の言葉を受け止めることを、優先的に伝えてきた。</div><div><br></div><div>（正しくは、伝えようとしてきた）</div><div><br></div><div>意図してやってきたことをやり切る方がよい</div><div><br></div><div>その価値観の多様性こそ認められるべきだ</div><div><br></div><div>そしてこの色を抜く行為は、一見、足並みを揃えるように見えて、</div><div><br></div><div>少数的なやり方に排他的な雰囲気をつくる。</div><div><br></div><div>足並みを揃えるべきは、やり方じゃないのだ</div><div><br></div><div>どんな子どもを育てたいか</div><div><br></div><div>考えることを大切にできる子に育てていく</div><div><br></div><div>こういう「意識」のようなものこそ足並みを揃えるべきである。</div><div><br></div><div>三つ目に並べる疑問は、本当に、残された貴重な時間を、こんなこと（というのは失礼か）に使ってよいのかということである。</div><div><br></div><div>貴重な時間は、あと３日となった。</div><div><br></div><div>偉そうに言った自分は、何に使うのか・・</div><div><br></div><div>恥ずかしながらで書く。</div><div><br></div><div>その貴重な時間を、棒に振りそうになる瞬間がある。</div><div><br></div><div>それは、返すべき返却物のことで頭がいっぱいになったり</div><div><br></div><div>評価項目を確認すべく、いわゆるあゆみ的な作業のことを頭の中心に添えてしまったり</div><div><br></div><div>本当は、遊ぶべきだ笑</div><div><br></div><div>あと３日・・できることを考えると４月の意識と繋がる。</div><div><br></div><div>必ず、１日に全員とお話する。これは、おさえたい。</div><div><br></div><div>あとは、なるべく笑顔で機嫌よくいたい。</div><div><br></div><div>そして、学級集団を笑わす。</div><div><br></div><div>笑いをとることはあと何度成功するか。</div><div><br></div><div>この最後の最後に、クラスみんなで笑うという場面に一回でも多く立ち合いたい。</div><div><br></div><div>あと３日、思い切り笑わせたい。</div><div><br></div><div>笑わせにかかる。仕掛ける。</div><div><br></div><div>今年度積み上げた、鉄板を振り返りながら笑</div><div><br></div><div>どう考えても「色」を「色々」抜いている時間はなさそうだ。</div><div><br></div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ぼくが、ダウトをする理由。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/13396674/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/13396674</id><summary><![CDATA[どこかの区のギガスクール構想のお話を受けた。来年からとなると急ピッチで、準備していくことが必要なのだろう。その準備というのは、担任が手はずを理解することだと言っているような感じだった。登録の仕方、使用方法、宿題の管理の仕方。一問一答という欄には、充電はどこでするのか？持ち帰りするのか？そんなことが書かれていた。つまり、担任は手順と区（どこかの区である、それを明かさないのはブログのマナー。ロックかもしれないし、四苦八苦かもしれない）のルールを理解すればよいという話なのだ。よいとか悪いとか、？とか、疑問を挟み込む余地はなさそうだ。？について、少し書くと、講義形式のシミュレーションを受けた。画面の向こうには、講師がいる、四角形の面積計算の導入あたり。講師は言う。「テキストに課題を書きましょう」「かけたかな？画面を止めて書いてみよう」「何✖️何って答えが聞こえるね」「こういうやり方もあるって聞こえるね」当たり前だが、そこに子供はいない。子どもの思考をシミュレーションしてるようでもあるが、正解に最短距離で向かわせるためのペテンの声に聞こえた。これが、よしとされるなら、ぼくらの仕事はなくなる笑さて、この講義は明らかに勉強のための勉強で、そこに効率以外のものはなさそうだ。メリットがあるのは、何度も戻れるというところ。この講義形式だけではない。ドリルのような取り組みも配られる端末で取り組むことができる。教師は、その宿題の学習状況（やったかやっていないか）把握できる仕組みになっている。講義形式、家庭学習の把握、こういう手法をギガスクール構想に取り込むことで、このシステムを考えた人は、勉強を理解するためのレールを敷いているように感じているのかもしれないが、これは、どう考えても勉強嫌いをこの上なく増やすためのレールである。勉強のための勉強には、なんの魅力もないだろう。なぜ勉強するのか、何が面白いのか、そういったことを考える余地がここにはない。仲間との楽しい記憶も生まれなければ、自分の夢中に出会うこともなさそうだ。そして、遊びと勉強が、またかけ離れる。とある区のとあるシミュレーションなので、これだけではないかもしれないが第一印象はこんな感じ。楽しく勉強することは大事なのだと思う。初任の頃からそう思い、学習ゲームの本を買い集めた。人がやっている楽しいことを知れば、翌日には、無理にでも入れ込んだ笑今もそうしたいと思うようにしている。忘るべからずの初心である。ここの表題に書いたダウトとは、モンセラット・サルトさんの「読書で遊ぼうアニマシオン　本が大好きになる25のゲーム」にある、作戦名「読みちがえた、読み聞かせ」である。本日の国語で、久々にやったのだ。アニマシオンを混ぜ込んだ、国語や他教科の授業を見せたとき〔授業観察、研究授業、四年次研修（このときはびっくりした！アニマシオンで展開した研究授業の指導講評が掲示物を4点どめにしてください！という指導で終わったからだ！多分死ぬまで忘れない。〕なぜ、ダウトをするのか？ダウトをするねらいは何か？楽しければいいのか？という、話になる。あれこれと、言葉を並べるが、協議会での話が噛み合わない。さて、なぜダウトをするのか？この理由が、今日はっきりと分かった。昨日の授業が、面白くなかったからである。正しいことを教える（授業のやり方が悪いと言われればそれまでだが笑）説明文に息が詰まったのだ。だから、今日久々に、ダウトをやった。理由は、十分である。最初の10分を大いに盛り上げる。アイスブレイクである。長い間やっているが、しらけたことは多分ない。収集がつかなくなったことは何度かある笑書いていて思い出したが、今年度の６月は大変だった。収集がつかず笑通りかかった管理職は、心配したと思う笑それが、集団で楽しめるようになったのだ。ダウトも色々なやり方があると思うが、ぼくは、１、ダウトの数を考えさせる教科書は閉じた状態。うそつきの範読が始まる。ダウトの箇所は、二か三個。範囲は低学年の教科書でいうと1ページくらい。範読のあと、教科書を確認させ、ダウト箇所を考えさせる。その数を聞く。今日は、2個に23人、3個に５人、一兆に一人挙手した。一兆と言った子の意見については、ふざけてないか確認した。ふざけてないと言ったので、そうか笑、とうなずき板書。２、どこが間違いか一つずつ聞くみんなで楽しめるからいい。→みんなで楽しめるからいいのですね。一人で楽しむ→みんなで楽しむ。きまり→ルール場合によっては、どう感じるかとかも尋ねる。３、また、うそつきの範読、今度はみんな教科書を開いて確認。そう。お気づきかも知れないが、10分では足りない笑]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2021-01-22T08:41:25+00:00</published><updated>2021-01-22T11:35:47+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div><br></div><div>どこかの区のギガスクール構想のお話を受けた。</div><div><br></div><div>来年からとなると急ピッチで、準備していくことが必要なのだろう。</div><div><br></div><div>その準備というのは、担任が手はずを理解することだと言っているような感じだった。</div><div><br></div><div>登録の仕方、使用方法、宿題の管理の仕方。</div><div><br></div><div>一問一答という欄には、</div><div><br></div><div>充電はどこでするのか？</div><div><br></div><div>持ち帰りするのか？</div><div><br></div><div>そんなことが書かれていた。</div><div><br></div><div>つまり、担任は手順と区</div><div><br></div><div>（どこかの区である、それを明かさないのはブログのマナー。ロックかもしれないし、四苦八苦かもしれない）</div><div><br></div><div>のルールを理解すればよいという話なのだ。</div><div><br></div><div>よいとか悪いとか、？とか、疑問を挟み込む余地はなさそうだ。</div><div><br></div><div>？について、少し書くと、講義形式のシミュレーションを受けた。</div><div><br></div><div>画面の向こうには、講師がいる、四角形の面積計算の導入あたり。</div><div><br></div><div>講師は言う。</div><div><br></div><div>「テキストに課題を書きましょう」</div><div>「かけたかな？画面を止めて書いてみよう」</div><div>「何✖️何って答えが聞こえるね」</div><div>「こういうやり方もあるって聞こえるね」</div><div><br></div><div>当たり前だが、そこに子供はいない。</div><div><br></div><div>子どもの思考をシミュレーションしてるようでもあるが、</div><div><br></div><div>正解に最短距離で向かわせるためのペテンの声に聞こえた。</div><div><br></div><div>これが、よしとされるなら、ぼくらの仕事はなくなる笑</div><div><br></div><div>さて、この講義は明らかに勉強のための勉強で、そこに効率以外のものはなさそうだ。</div><div><br></div><div>メリットがあるのは、何度も戻れるというところ。</div><div><br></div><div>この講義形式だけではない。</div><div><br></div><div>ドリルのような取り組みも配られる端末で取り組むことができる。</div><div><br></div><div>教師は、その宿題の学習状況（やったかやっていないか）把握できる仕組みになっている。</div><div><br></div><div>講義形式、家庭学習の把握、こういう手法をギガスクール構想に取り込むことで、</div><div><br></div><div>このシステムを考えた人は、</div><div><br></div><div>勉強を理解するためのレールを敷いているように感じているのかもしれないが、</div><div><br></div><div>これは、どう考えても勉強嫌いをこの上なく増やすためのレールである。</div><div><br></div><div>勉強のための勉強には、なんの魅力もないだろう。</div><div><br></div><div>なぜ勉強するのか、何が面白いのか、そういったことを考える余地がここにはない。</div><div><br></div><div>仲間との楽しい記憶も生まれなければ、自分の夢中に出会うこともなさそうだ。</div><div><br></div><div>そして、遊びと勉強が、またかけ離れる。</div><div><br></div><div>とある区のとあるシミュレーションなので、これだけではないかもしれないが</div><div><br></div><div>第一印象はこんな感じ。</div><div><br></div><div>楽しく勉強することは大事なのだと思う。</div><div><br></div><div>初任の頃からそう思い、学習ゲームの本を買い集めた。</div><div><br></div><div>人がやっている楽しいことを知れば、翌日には、無理にでも入れ込んだ笑</div><div><br></div><div>今もそうしたいと思うようにしている。</div><div><br></div><div>忘るべからずの初心である。</div><div><br></div><div>ここの表題に書いたダウトとは、</div><div><br></div><div>モンセラット・サルトさんの「読書で遊ぼうアニマシオン　本が大好きになる25のゲーム」にある、作戦名「読みちがえた、読み聞かせ」である。</div><div><br></div><div>本日の国語で、久々にやったのだ。</div><div><br></div><div>アニマシオンを混ぜ込んだ、国語や他教科の授業を見せたとき</div><div><br></div><div>〔授業観察、研究授業、四年次研修（このときはびっくりした！</div><div><br></div><div>アニマシオンで展開した研究授業の指導講評が掲示物を4点どめにしてください！という指導で終わったからだ！</div><div><br></div><div>多分死ぬまで忘れない。〕</div><div><br></div><div>なぜ、ダウトをするのか？</div><div>ダウトをするねらいは何か？</div><div>楽しければいいのか？</div><div><br></div><div>という、話になる。</div><div>あれこれと、言葉を並べるが、協議会での話が噛み合わない。</div><div><br></div><div>さて、なぜダウトをするのか？</div><div><br></div><div>この理由が、今日はっきりと分かった。</div><div><br></div><div>昨日の授業が、面白くなかったからである。</div><div><br></div><div>正しいことを教える（授業のやり方が悪いと言われればそれまでだが笑）説明文に息が詰まったのだ。</div><div><br></div><div>だから、今日久々に、ダウトをやった。</div><div><br></div><div>理由は、十分である。</div><div><br></div><div>最初の10分を大いに盛り上げる。</div><div><br></div><div>アイスブレイクである。</div><div><br></div><div>長い間やっているが、しらけたことは多分ない。</div><div><br></div><div>収集がつかなくなったことは何度かある笑</div><div><br></div><div>書いていて思い出したが、今年度の６月は大変だった。</div><div><br></div><div>収集がつかず笑</div><div><br></div><div>通りかかった管理職は、心配したと思う笑</div><div><br></div><div>それが、集団で楽しめるようになったのだ。</div><div><br></div><div>ダウトも色々なやり方があると思うが、</div><div><br></div><div>ぼくは、</div><div>１、ダウトの数を考えさせる</div><div><br></div><div>教科書は閉じた状態。</div><div>うそつきの範読が始まる。</div><div>ダウトの箇所は、二か三個。</div><div>範囲は低学年の教科書でいうと1ページくらい。</div><div><br></div><div>範読のあと、教科書を確認させ、ダウト箇所を考えさせる。その数を聞く。</div><div><br></div><div>今日は、2個に23人、3個に５人、一兆に一人挙手した。</div><div><br></div><div>一兆と言った子の意見については、ふざけてないか確認した。</div><div><br></div><div>ふざけてないと言ったので、</div><div><br></div><div>そうか笑、とうなずき板書。</div><div><br></div><div>２、どこが間違いか一つずつ聞く</div><div><br></div><div>みんなで楽しめるからいい。→みんなで楽しめるからいいのですね。</div><div><br></div><div>一人で楽しむ→みんなで楽しむ。</div><div><br></div><div>きまり→ルール</div><div><br></div><div>場合によっては、どう感じるかとかも尋ねる。</div><div><br></div><div>３、また、うそつきの範読、今度はみんな教科書を開いて確認。</div><div><br></div><div>そう。</div><div><br></div><div>お気づきかも知れないが、10分では足りない笑</div><div><br></div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[外遊び絶対主義　対　室内遊びエネルギー]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/12184943/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/443425/150a261957f118b43d2d571274740fdf_cbab24f404aff65533b96b754cba3a62.jpg"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/12184943</id><summary><![CDATA[まず、恥ずかしながら、ぼくも外遊び絶対主義の時期がある。外遊び、行け行けの学校だったんだっけか・・、どうだったか、覚えていない。しかし、その頃は中休みも昼休みも自分も必ず外遊び。宿題のチェックは大変だった笑今は、外に行く時もあれば、部屋にいる時もあれば、という感じ。両方に顔を出せればいいが、外遊びだって、てんかに、なわとび、おにごっこと、色々なので、参加したりしなかったり。さて、どのタイミングで「部屋で過ごしてもいいじゃん」になったのかは定かではないが、ある時から、「大富豪をやってたっていいじゃん」と、思うようになった。だけど、近くにある学校は、いくつも全員外遊び。学校の決まりになくっても、そうすべきだと唱える人も、まぁいる。あーそうだ、成績表の行動の記録にもあるんじゃないかなぁ。元気に外遊びって。いい大人？えらい大人？が集まると、どうしてだか、くだらない方へ下らない方へ、流れていく。ぼくが今言いたいことは、元気な内遊びの話である。元気に教室で遊んでいるという項目も追加すべきだ。室内遊びには、無限の可能性を感じる。本日は、お楽しみ会（兼お別れ会）室内遊びというか、準備になるわけだが、チームによっては、休み時間も準備を進めていた。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-12-18T11:37:20+00:00</published><updated>2020-12-18T16:14:47+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>まず、恥ずかしながら、ぼくも外遊び絶対主義の時期がある。</div><div><br></div><div>外遊び、行け行けの学校だったんだっけか・・、どうだったか、覚えていない。</div><div><br></div><div>しかし、その頃は中休みも昼休みも自分も必ず外遊び。宿題のチェックは大変だった笑</div><div><br></div><div>今は、外に行く時もあれば、部屋にいる時もあれば、という感じ。</div><div><br></div><div>両方に顔を出せればいいが、</div><div><br></div><div>外遊びだって、てんかに、なわとび、おにごっこと、色々なので、</div><div><br></div><div>参加したりしなかったり。</div><div><br></div><div>さて、どのタイミングで</div><div><br></div><div>「部屋で過ごしてもいいじゃん」になったのかは定かではないが、</div><div><br></div><div>ある時から、「大富豪をやってたっていいじゃん」</div><div><br></div><div>と、思うようになった。</div><div><br></div><div>だけど、</div><div><br></div><div>近くにある学校は、いくつも全員外遊び。</div><div><br></div><div>学校の決まりになくっても、そうすべきだと唱える人も、まぁいる。</div><div><br></div><div>あーそうだ、成績表の行動の記録にもあるんじゃないかなぁ。</div><div><br></div><div>元気に外遊びって。</div><div><br></div><div>いい大人？えらい大人？が集まると、どうしてだか、くだらない方へ下らない方へ、流れていく。</div><div><br></div><div>ぼくが今言いたいことは、</div><div><br></div><div>元気な内遊びの話である。</div><div><br></div><div>元気に教室で遊んでいるという項目も追加すべきだ。</div><div><br></div><div>室内遊びには、無限の可能性を感じる。</div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">本日は、お楽しみ会（兼お別れ会）</span><br></div><div><br></div><div>室内遊びというか、準備になるわけだが、</div><div><br></div><div>チームによっては、休み時間も準備を進めていた。</div>
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		</div>
		

		<div>
			<div>これは、お別れのプレゼント用の折り紙、お手紙、絵。</div>
		</div>
	
		<div>
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		</div>
		

		<div>
			<div>お楽しみ方に限らず、とにかく折り紙がブームだった。</div><div>たくさんのいい点がある。</div><div>・やんちゃなあの子が、女の子にプレゼント。</div><div>・やんちゃなあの子が、シュリケンにあこがれ、教えてもらう。</div><div>・学校嫌だなぁと、思っていた子が、とにかく夢中に。</div><div>・算数的な利点だってたくさんある。</div><div><br></div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>子どもを見て考えたことは、</div><div>・折り紙の本を読みながらであれば、朝読書の際に折っていてもいいと思った。</div><div>・同じ話でいくと、恐竜図鑑を見ながら恐竜のお絵描きをしてたっていいんじゃないかと思った。</div><div>・いきものがかりが、バッタなどの虫を折って、虫かごのあたりを飾っていくのは、おーなるほどと感心した。</div><div><br></div><div>まぁ、だけど実の話、折り紙については、闘争に負けてしまい、自由に行うことは不可になりつつある・・</div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>折り紙コーナー、お手紙コーナー、手裏剣などに分け、教室をきれいに使いながら準備していたのは、すごいと思った。</div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>折り紙だけではない、この絵もプレゼント。これは描いたのはある男の子とある女の子の2人。</div><div><br></div><div>面白いのが今まで特別に仲がよかったわけではない2人。だが、絵を描きたいという点でタッグを組み今週はずっと2人で、楽しそうに打ち合わせをしていた。</div><div><br></div><div>絵のために、ぼくが読み聞かせをした「リンドバーグ」や『急行「北極号」』を繰り返し開いていたところも、なんだかいい。</div><div><br></div>
		</div>
	
		<div>
			<div>今回のお楽しみ会では、そういう男の子が多かった。だれとやるとかよりも、それをやりたいと思う男の子。</div><div><br></div><div>折り紙チームやプログラムづくりも男子一人、女子に混じっていても全然関係ないという感じ。</div><div><br></div><div>そういえば、何にもやりたくないという子もいた笑</div><div><br></div><div>話し合いの時間を伸ばすのは、もったいなかったので、各チームの活動を見ながらやりたいことを探せばいいと助言。</div><div><br></div><div>そして、その子は折り紙の道に。</div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">遊びの準備チームでも面白いアイディアがあった。</span><br></div><div><br></div><div>本日のふえおにで、おにの子がオニのお面をつけて模造紙を丸めて作った「かなぼう」をもって走っていた。</div><div><br></div><div>絶対たたくなよ、とか、かなぼうもって廊下に出ないとか、言ってきたが、こういう使い方をするとは露知らず。</div><div><br></div><div>アメリカンドッチのときも面白いものが登場した。</div><div><br></div><div>腕にはめる、アメリカと書かれた旗。</div><div><br></div><div>しかも、今日突然「先生がやって」と言われ、子どもたちが遊ぶ中、うでに旗をはめた。</div><div><br></div><div>ロックマンみたいなイメージ。その先にアメリカと書かれた旗がある。</div><div><br></div><div>材料は画用紙。</div><div><br></div><div>ぼくは、ダイナミックな準備に、エネルギーを感じっぱなし。</div><div><br></div><div>コミュニケーションが120%とれ、各担当の物語が生まれていく。</div><div><br></div><div>ぼくの心もなんだか満たされる。</div><div><br></div><div>こんな面白いことは、なかなかない。</div><div><br></div><div>間違いなく、主体的で、対話的で、深い学びである。</div><div><br></div><div>いい大人？えらい大人？が集まると、どうしてだか、くだらない方へ下らない方へ、流れていく。</div><div><br></div><div>学力、学力。時数の確保、確保というが、お楽しみ会の時数を確保しよう！という大人はいなかったのか笑</div><div><br></div><div>前回7月末と比べると、準備も進行も格段に成長を感じるものだった。</div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>さて、折り紙はとても上手な子が増えた。</div><div><br></div><div>だけど、ちょっとエスカレートして目立ってきたのだろう。</div><div><br></div><div>折り紙の自由をめぐり闘争が起きる。</div><div><br></div><div>だれとかは内緒だが、どこめも起こりうるような話。</div><div><br></div><div>話を詰めていくと、外遊びがいいとされ・・いやいやでもと粘るが、</div><div><br></div><div>もう負けることにした。</div><div><br></div><div>粘って粘って、外遊び強制みたいになったらいやだからやめた。</div><div><br></div><div>そして、せっかくの話し合いだからもっと話を詰める。</div><div><br></div><div>係活動とお楽しみ会は、いいでしょ？</div><div><br></div><div>まぁ、それくらいいいかとなる。</div><div><br></div><div>ということで、その気になれば折り紙係をつくればいい笑</div><div><br></div><div>そして、数日後。</div><div><br></div><div>結局新しい室内遊びに今火がつき始めた・・</div><div><br></div><div>今度はあやとりである笑</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[揃えると言うことは、相手の話を聞く丁寧な営みが必要で、時間のかかることだということ]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/10335963/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/10335963</id><summary><![CDATA[揃えてほしい、学年で揃っていればいい、よく聞く言葉。ただ、この発言の安易さを提起したい。2人、3人、4人と学年を組む。これまで大事にしてきたこと、初任校で教わったこと、大きくなるまでにおうちの人から言われたこと・・バックボーンが違うのだ。どちらかのこだわりが薄ければ、話はまとまるかもしれないが、すべてがそういうわけにはいくわけがない。連絡帳を書き終わらないと帰さない。そういう人を、何人も見てきたが、ぼくは、絶対にしない。今日は特別だよ、と書いてしまう。今日はここまで書くよとか、今日ははやく書くんだよとあらかじめ伝えるとか、変化球はあるが。そういう姿をあまいとか、やさしいとかで終わらせる人もいるが、自分で言うのもなんだが、この行動にはかなり大切な哲学が詰まっているように思う笑それで１日を苦痛に感じられるのも嫌だ。名前は、習った漢字以外使用不可。・・いやいや飲み込めない。小学校段階で習わない漢字だってたくさんある。高学年になったら、逆に全員漢字でとかに話はきっとなる。そもそも、名前はその子のものであり、それに制限をかける権利はあるのだろうか？最近、自分に問い直してみたことの一つ。なので、「紙」に書いてあるから揃えるとか、安易に決めるのはどう考えても危険。この話を書こうと思ったのは、一つのエピソードを、書こうと思ったから。どっかなら書いたかもしれないけど。その頃の子どもたちは、もう大きくなったので、そろそろ時効だと思って書く。ぼくは、その年2人のベテランに挟まれていた。役職は2人とも主幹。学年は6年生。1人が女性で、1人が男性。自分は間のクラス。様々な場面で、2人はこだわりをもち、そのこだわりが阻害されることなく、だいたいの行事や学習は終わりを迎えた。自分に対してもそう。こだわりや想いを、大切にしてくださったと今でも思う。授業の進度なんかも結構な違いがあった。もちろん３月には全員やるべきことは終わっていたが。卒業式では、呼名が行われる。女のS先輩は、さんをつけるといい、男のO先輩は、名前だけを呼ぶ（つまり敬称略）という。クラスそれぞれでいいか、と話はなった。ところが、卒業式2日前に学年3人は呼び出しを受けた。上の人から（どの上の人かは明かさない。すぐ上かもしれないし、上の上の上、上には上がいる。ブログとしてのマナーである。）揃えてほしいと話が来たのだ。直前ということで憤りが起きた。なぜ今になって？そして、何を思ってか、「上」の方からよびすてでの統一が降ってきた。S先輩の想いが語られた。人の名前を大切にするようにと春からクラスで友達の名前をさん付けで呼ぶ話。敬称をつけて、送り出したいと。O先輩は、ぼくに言う。さんをつけて送り出そうと。Sさんに合わせようと。誰の想いをとるか、そんな話をした。そして、予行が行われた。O先輩は、当然初めて、さん付けの呼名を、行なった。続くぼくも、それに習った。さて、サプライズが起きた。いつも、さん付けで練習していたS先輩は、「さん」を付けなかった。いろいろな想いが汲みとれる。ただ、安易に「揃えてくれ」と言われるような指示では、釣り合わない、呼名に対する強い想いが伝わってきた。その後の、本番では全員が敬称を付けて送り出す式となった。この話を最近聞いてくれたベテラン教諭が、すてきな話だと言ってくれた。人によってはめんどくさい話だと受け取られるので、嬉しく思った。まぁ、言いたかったのは、揃えるって時間がかかることだし、その前に信頼関係が、あってのことなんだぞってこと。おしまい。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-09-19T15:44:54+00:00</published><updated>2020-09-19T16:29:02+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div><br></div><div>揃えてほしい、</div><div>学年で揃っていればいい、</div><div><br></div><div>よく聞く言葉。</div><div>ただ、この発言の安易さを提起したい。</div><div><br></div><div>2人、3人、4人と学年を組む。</div><div><br></div><div>これまで大事にしてきたこと、初任校で教わったこと、大きくなるまでにおうちの人から言われたこと・・</div><div><br></div><div>バックボーンが違うのだ。</div><div><br></div><div>どちらかのこだわりが薄ければ、話はまとまるかもしれないが、</div><div><br></div><div>すべてがそういうわけにはいくわけがない。</div><div><br></div><div>連絡帳を書き終わらないと帰さない。</div><div><br></div><div>そういう人を、何人も見てきたが、</div><div><br></div><div>ぼくは、絶対にしない。</div><div><br></div><div>今日は特別だよ、と書いてしまう。</div><div><br></div><div>今日はここまで書くよとか、今日ははやく書くんだよとあらかじめ伝えるとか、変化球はあるが。</div><div><br></div><div>そういう姿をあまいとか、やさしいとかで終わらせる人もいるが、</div><div><br></div><div>自分で言うのもなんだが、この行動にはかなり大切な哲学が詰まっているように思う笑</div><div><br></div><div>それで１日を苦痛に感じられるのも嫌だ。</div><div><br></div><div>名前は、習った漢字以外使用不可。</div><div><br></div><div>・・いやいや飲み込めない。</div><div><br></div><div>小学校段階で習わない漢字だってたくさんある。</div><div><br></div><div>高学年になったら、逆に全員漢字でとかに話はきっとなる。</div><div><br></div><div>そもそも、名前はその子のものであり、それに制限をかける権利はあるのだろうか？</div><div><br></div><div>最近、自分に問い直してみたことの一つ。</div><div><br></div><div>なので、「紙」に書いてあるから揃えるとか、安易に決めるのはどう考えても危険。</div><div><br></div><div>この話を書こうと思ったのは、一つのエピソードを、書こうと思ったから。</div><div><br></div><div>どっかなら書いたかもしれないけど。</div><div><br></div><div>その頃の子どもたちは、もう大きくなったので、そろそろ時効だと思って書く。</div><div><br></div><div>ぼくは、その年2人のベテランに挟まれていた。役職は2人とも主幹。</div><div><br></div><div>学年は6年生。</div><div><br></div><div>1人が女性で、1人が男性。</div><div><br></div><div>自分は間のクラス。</div><div><br></div><div>様々な場面で、2人はこだわりをもち、そのこだわりが阻害されることなく、だいたいの行事や学習は終わりを迎えた。</div><div><br></div><div>自分に対してもそう。こだわりや想いを、大切にしてくださったと今でも思う。</div><div><br></div><div>授業の進度なんかも結構な違いがあった。もちろん３月には全員やるべきことは終わっていたが。</div><div><br></div><div>卒業式では、呼名が行われる。</div><div><br></div><div>女のS先輩は、さんをつけるといい、</div><div><br></div><div>男のO先輩は、名前だけを呼ぶ（つまり敬称略）という。</div><div><br></div><div>クラスそれぞれでいいか、と話はなった。</div><div><br></div><div>ところが、卒業式2日前に学年3人は呼び出しを受けた。</div><div><br></div><div>上の人から（どの上の人かは明かさない。すぐ上かもしれないし、上の上の上、上には上がいる。ブログとしてのマナーである。）</div><div><br></div><div>揃えてほしいと話が来たのだ。</div><div><br></div><div>直前ということで憤りが起きた。</div><div><br></div><div>なぜ今になって？</div><div><br></div><div>そして、何を思ってか、「上」の方からよびすてでの統一が降ってきた。</div><div><br></div><div>S先輩の想いが語られた。</div><div><br></div><div>人の名前を大切にするようにと春からクラスで友達の名前をさん付けで呼ぶ話。</div><div><br></div><div>敬称をつけて、送り出したいと。</div><div><br></div><div>O先輩は、ぼくに言う。</div><div><br></div><div>さんをつけて送り出そうと。</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">Sさんに合わせようと。</span><br></div><div>誰の想いをとるか、そんな話をした。</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div>そして、予行が行われた。</div><div>O先輩は、当然初めて、さん付けの呼名を、行なった。</div><div><br></div><div>続くぼくも、それに習った。</div><div><br></div><div>さて、サプライズが起きた。</div><div><br></div><div>いつも、さん付けで練習していたS先輩は、「さん」を付けなかった。</div><div><br></div><div>いろいろな想いが汲みとれる。</div><div><br></div><div>ただ、安易に「揃えてくれ」と言われるような指示では、釣り合わない、</div><div><br></div><div>呼名に対する強い想いが伝わってきた。</div><div><br></div><div>その後の、本番では全員が敬称を付けて送り出す式となった。</div><div><br></div><div>この話を最近聞いてくれたベテラン教諭が、すてきな話だと言ってくれた。</div><div><br></div><div>人によってはめんどくさい話だと受け取られるので、嬉しく思った。</div><div><br></div><div>まぁ、言いたかったのは、</div><div><br></div><div>揃えるって時間がかかることだし、その前に信頼関係が、あってのことなんだぞってこと。</div><div><br></div><div>おしまい。</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[学校七不思議。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/9788084/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/9788084</id><summary><![CDATA[学校七不思議は、むかしから存在する。トイレだの、人体模型だの。まだまだ、増える。きっと７つどころの話じゃない。例えば、キャラクターの付いている文房具はダメだという。じゃあ、お店で売っているキャラクターの付いた連絡帳の用途はなんだ笑例えば、体育着を忘れたから、体育はできないという。その子が、adidasだとかNIKEで、上下揃えていてもダメらしい笑そもそも、授業です。休み時間ではありません。よく聞くセリフ。僕もいっている。そうだ、授業は大切だ。なぜ、大事なのか？その子にとって、一人一人にとって大事なのだ。体を動かしたり、言葉にしたり、発見したり、驚いたり、仲間と過ごしたり、できるだけ、授業に関わる方向で、前向きに検討すべきだ。紅白帽がないとする。熱中症が心配なら、通学帽を使えばいい。そあいえば、小笠原に遊びにきた、学生時代の仲間（北海道2名、宮城１名。3人とも教員。）は、なんで、体育着とかあんの？？っていっていたが、ぼくも、なんだかいらないと思う。七不思議は続く。休み時間のはずなのに、一律に絵を書かせたり、読書をさせたり、雨だからだ、そうだ。雨が降ると、校舎内で走る暴れる。それを防ぐそうだ。だとしたら、休み時間と呼ぶのをやめた方が良い。余談だが、算数の授業のときに水を使わせた。リットルマスに、水を入れる。そのための水なんて用意しない。なぜなら、彼らの生活スペースに水はあるからだ。容器は好きなのを使えばいいさ、と決め込んだ。こぼすか、心配したが、案の定こぼした。見通しのもてる大人の一人として、教科書とノートは、活動前にしまわせた。でも、こぼす。うちに５歳と２歳がいるが、けっこうお茶と水をこぼす。「あっ・・」っていったときには、もう遅い。子どもはこぼすのだ。この算数の授業でも一つの班がこぼした。「あっ・・」っていったときには、もう遅い。それを見ていた、大人の一人が放課後のフィードバックで「こぼすって分かってたよね！？！？」と、責め立てた。でもよーく考えて欲しい。すぐにみんなで拭いたのだ、ぞうきんをすぐ出して。こぼすか、こぼさないか、じゃなくて、こぼした後どーするのか、これこそ教育的な意義を感じる。長い余談となったが、走ったとき、暴れたとき、それが危ないということを教えた方が良いように思う。最初から小石を拾うみたいなことしないで。最近の七不思議は、・窓を開ける。・教室を冷やす。という二つの指示。そして、教室は冷えない。午後は31度。これだけでも相当な矛盾を感じていたが、・電気代の話が入る。つまり、冷やせなくなった。もっと詳しく言うと、体育のあと、音楽の後は、３５度とかの教室になる。・なのに熱中症に気をつけて。これも七不思議。・鼻血が出る子が増えた。・プールはなし。・でもプールは故障しないためにきれいに保ってください。・塩素やペーハーを管理。プール掃除機を動かす。・なのに。誰も入らないプール。これも七不思議。校庭は、一昨日から、なんとかアラートで使えなくなった。・休み時間、外で遊ぶことはできなくなった。・外体育もだめ。・なのに、空き時間教室冷やすのは電気代が・・。（余談だがこのアラートの気温指数は、小笠原の場合ほぼ3月から10月くらいだと思う。それでも熱中症の子をほとんど見なかった・・鍛えられているのか、太陽に・・）・コロナにきをつけなさい、熱中症にきをつけなさい、プールはなし、休み時間や体育もなし。だとしたらだ、ぼくが子どもだったらだ、なぜ呼んだ・・・？、と思う。夏休みを短くしてまで。七不思議である笑]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-08-28T10:27:11+00:00</published><updated>2020-08-28T11:46:45+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>学校七不思議は、むかしから存在する。</div><div><br></div><div>トイレだの、人体模型だの。</div><div><br></div><div>まだまだ、増える。きっと７つどころの話じゃない。</div><div><br></div><div>例えば、キャラクターの付いている文房具はダメだという。</div><div><br></div><div>じゃあ、お店で売っているキャラクターの付いた連絡帳の用途はなんだ笑</div><div><br></div><div>例えば、体育着を忘れたから、体育はできないという。</div><div><br></div><div>その子が、adidasだとかNIKEで、上下揃えていてもダメらしい笑</div><div><br></div><div>そもそも、授業です。休み時間ではありません。よく聞くセリフ。僕もいっている。</div><div><br></div><div>そうだ、授業は大切だ。なぜ、大事なのか？</div><div><br></div><div>その子にとって、一人一人にとって大事なのだ。</div><div><br></div><div>体を動かしたり、言葉にしたり、発見したり、驚いたり、仲間と過ごしたり、</div><div><br></div><div>できるだけ、授業に関わる方向で、前向きに検討すべきだ。</div><div><br></div><div>紅白帽がないとする。熱中症が心配なら、通学帽を使えばいい。</div><div><br></div><div>そあいえば、小笠原に遊びにきた、学生時代の仲間（北海道2名、宮城１名。3人とも教員。）は、なんで、体育着とかあんの？？</div><div>っていっていたが、</div><div><br></div><div>ぼくも、なんだかいらないと思う。</div><div><br></div><div>七不思議は続く。</div><div><br></div><div>休み時間のはずなのに、一律に絵を書かせたり、読書をさせたり、</div><div><br></div><div>雨だからだ、そうだ。</div><div><br></div><div>雨が降ると、校舎内で走る暴れる。</div><div><br></div><div>それを防ぐそうだ。</div><div><br></div><div>だとしたら、休み時間と呼ぶのをやめた方が良い。</div><div><br></div><div>余談だが、算数の授業のときに水を使わせた。</div><div><br></div><div>リットルマスに、水を入れる。</div><div><br></div><div>そのための水なんて用意しない。</div><div><br></div><div>なぜなら、彼らの生活スペースに水はあるからだ。</div><div><br></div><div>容器は好きなのを使えばいいさ、と決め込んだ。</div><div><br></div><div>こぼすか、心配したが、案の定こぼした。</div><div><br></div><div>見通しのもてる大人の一人として、教科書とノートは、活動前にしまわせた。</div><div><br></div><div>でも、こぼす。</div><div><br></div><div>うちに５歳と２歳がいるが、けっこうお茶と水をこぼす。</div><div><br></div><div>「あっ・・」っていったときには、もう遅い。</div><div><br></div><div>子どもはこぼすのだ。</div><div><br></div><div>この算数の授業でも一つの班がこぼした。</div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">「あっ・・」っていったときには、もう遅い。</span><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div>それを見ていた、大人の一人が放課後のフィードバックで「こぼすって分かってたよね！？！？」と、責め立てた。</div><div><br></div><div>でもよーく考えて欲しい。すぐにみんなで拭いたのだ、ぞうきんをすぐ出して。</div><div><br></div><div>こぼすか、こぼさないか、じゃなくて、</div><div>こぼした後どーするのか、</div><div><br></div><div>これこそ教育的な意義を感じる。</div><div><br></div><div>長い余談となったが、</div><div><br></div><div>走ったとき、暴れたとき、それが危ないということを教えた方が良いように思う。</div><div><br></div><div>最初から小石を拾うみたいなことしないで。</div><div><br></div><div>最近の七不思議は、</div><div>・窓を開ける。</div><div>・教室を冷やす。</div><div>という二つの指示。</div><div>そして、教室は冷えない。午後は31度。</div><div><br></div><div>これだけでも相当な矛盾を感じていたが、</div><div>・電気代の話が入る。</div><div>つまり、冷やせなくなった。</div><div>もっと詳しく言うと、体育のあと、音楽の後は、３５度とかの教室になる。</div><div>・なのに熱中症に気をつけて。</div><div>これも七不思議。</div><div><br></div><div>・鼻血が出る子が増えた。</div><div><br></div><div>・プールはなし。</div><div>・でもプールは故障しないためにきれいに保ってください。</div><div>・塩素やペーハーを管理。プール掃除機を動かす。</div><div>・なのに。誰も入らないプール。</div><div>これも七不思議。</div><div><br></div><div>校庭は、一昨日から、なんとかアラートで使えなくなった。</div><div>・休み時間、外で遊ぶことはできなくなった。</div><div>・外体育もだめ。</div><div>・なのに、空き時間教室冷やすのは電気代が・・。</div><div>（余談だがこのアラートの気温指数は、小笠原の場合ほぼ3月から10月くらいだと思う。それでも熱中症の子をほとんど見なかった・・鍛えられているのか、太陽に・・）</div><div><br></div><div>・コロナにきをつけなさい、熱中症にきをつけなさい、プールはなし、休み時間や体育もなし。</div><div><br></div><div>だとしたらだ、</div><div><br></div><div>ぼくが子どもだったらだ、</div><div><br></div><div>なぜ呼んだ・・・？、と思う。</div><div><br></div><div>夏休みを短くしてまで。</div><div><br></div><div>七不思議である笑</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[古から伝わる、二つの文化を変えたいと願う。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8770689/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8770689</id><summary><![CDATA[「水筒を飲んでもいいですか？」ここでいいたいのは、硬い水筒が飲めるか飲まないかということではない。子どもが、学校生活の中で、お茶や水を飲むことを、止めることができるのかということである。授業中や給食。お茶や水だ。ビールやコーラではない。なぜ、許可してはいけないのか、「先生トイレ」先生がトイレか、どうかということを言いたいのではない。トイレに行くことに関しては、今の時代多くの大人が、「止めちゃだめだろー」というと思う。体調の問題、トイレが近い子どもがいるという個別配慮の視点、我慢は体に悪い、漏らしてしまう、理由は色々。つまり、生命に関わることであり、その子の権利である。発達の段階にもよるけど、ぼくは、許可を取る必要すらないと思っている。ある程度クラスが落ち着いたら、その話も子どもたちに伝えている。ぼくは、ね。とも、強調するし、許可を事前に取る必要がないからと言って、トイレに行く子が増えるなんてことも起こったことはない。じゃあ水筒はどうなのか、・歌に、音読、ワイワイした活動もある。ずっと座学というわけではない。教室が熱いときだってあるかもしれない。45分間我慢できる保証はないのである。・トイレと一緒。その日、体調の悪い子がいるかもしれない。・水を飲むことを忘れた子だっているかもしれない。なんせ5分だ。時間がなかったは十分あり得る。トイレ同様、生命に関わることであり、生きるための権利のように思う。ダメな理由が、学校の決まりだからで終わってしまうものは、本質が怪しい。そして、そのお話のゴールでは、思考停止となる。教師が話していれば、静かにそっと水筒を開き、満たされれば、そっと戻ればなんの問題もない。ぼくは、会議でもなんでも、けっこう飲みたくなる。一口、二口。給食の話も書こうと思ったが辞めた。そういう話を職場でしたばかりで、リアルが色濃く映り出てしまう笑この話は、いずれどこかで笑変えたい文化の一つは、以上だけど。ことのついでにもう一つ変えたい。それは、シャツイン文化。「体育着のシャツを入れなさい」たしかに、丈が長くて、これは入れた方がいいというものも目にする。同じ体育着でも。子どもに留まらず、「大人も入れなさい」という人が出てくる。昨年度の運動会では、教員みんなに徹底させてほしいと言われ、しつこいので渋々その話しを飲んだ。めんどくさくて、争う気力がなかった。これまでに一度も入れたことなかったのに。朝会だか、夕会だかで発言した。　シャツインを揃えましょう。書いていて思ったが、こんな間抜けな話はない。そしたら、反対の声が、ちゃんとあった。発言する前に、そういう声があることをある程度確認すべきだったと反省した。ださい、普段そんな着方はしないという声もあったし、ぼくもそう思っていた。だがそれだけじゃない。熱中症の対策にもなるのだ。シャツを出すことで、熱が逃げ、2、3度下がるというのだ。実際、和光を含む、いくつかの小学校がシャツ出し運動会をやっていることが分かった。だとすれば、もう、出してしまえばいい。大人も子どもも。さあ、古から伝わる文化を、揺さぶる。そして、変える。あまり飛ばすと疲れるので、長距離走だと意識しながら。時間はまだまだあるはず。以下は昔の、水筒とかお手洗いの話]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-07-10T10:10:45+00:00</published><updated>2020-07-10T13:46:21+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>「水筒を飲んでもいいですか？」</div><div><br></div><div>ここでいいたいのは、硬い水筒が飲めるか飲まないかということではない。</div><div><br></div><div>子どもが、学校生活の中で、お茶や水を飲むことを、止めることができるのかということである。</div><div><br></div><div>授業中や給食。</div><div><br></div><div>お茶や水だ。ビールやコーラではない。</div><div><br></div><div>なぜ、許可してはいけないのか、</div><div><br></div><div>「先生トイレ」</div><div><br></div><div>先生がトイレか、どうかということを言いたいのではない。</div><div><br></div><div>トイレに行くことに関しては、今の時代多くの大人が、</div><div><br></div><div>「止めちゃだめだろー」</div><div><br></div><div>というと思う。</div><div><br></div><div>体調の問題、トイレが近い子どもがいるという個別配慮の視点、我慢は体に悪い、漏らしてしまう、理由は色々。</div><div><br></div><div>つまり、生命に関わることであり、その子の権利である。</div><div><br></div><div>発達の段階にもよるけど、ぼくは、許可を取る必要すらないと思っている。</div><div><br></div><div>ある程度クラスが落ち着いたら、その話も子どもたちに伝えている。</div><div><br></div><div>ぼくは、ね。とも、強調するし、許可を事前に取る必要がないからと言って、トイレに行く子が増えるなんてことも起こったことはない。</div><div><br></div><div>じゃあ水筒はどうなのか、</div><div>・歌に、音読、ワイワイした活動もある。ずっと座学というわけではない。教室が熱いときだってあるかもしれない。</div><div>45分間我慢できる保証はないのである。</div><div>・トイレと一緒。その日、体調の悪い子がいるかもしれない。</div><div>・水を飲むことを忘れた子だっているかもしれない。なんせ5分だ。時間がなかったは十分あり得る。</div><div><br></div><div>トイレ同様、生命に関わることであり、生きるための権利のように思う。</div><div><br></div><div>ダメな理由が、学校の決まりだからで終わってしまうものは、本質が怪しい。</div><div><br></div><div>そして、そのお話のゴールでは、思考停止となる。</div><div><br></div><div>教師が話していれば、静かにそっと水筒を開き、満たされれば、そっと戻ればなんの問題もない。</div><div><br></div><div>ぼくは、会議でもなんでも、けっこう飲みたくなる。一口、二口。</div><div><br></div><div>給食の話も書こうと思ったが辞めた。そういう話を職場でしたばかりで、リアルが色濃く映り出てしまう笑</div><div><br></div><div>この話は、いずれどこかで笑</div><div><br></div><div>変えたい文化の一つは、以上だけど。</div><div><br></div><div>ことのついでにもう一つ変えたい。</div><div><br></div><div>それは、シャツイン文化。</div><div><br></div><div>「体育着のシャツを入れなさい」</div><div><br></div><div>たしかに、丈が長くて、これは入れた方がいいというものも目にする。</div><div><br></div><div>同じ体育着でも。</div><div><br></div><div>子どもに留まらず、「大人も入れなさい」という人が出てくる。</div><div><br></div><div>昨年度の運動会では、教員みんなに徹底させてほしいと言われ、</div><div><br></div><div>しつこいので渋々その話しを飲んだ。</div><div><br></div><div>めんどくさくて、争う気力がなかった。</div><div><br></div><div>これまでに一度も入れたことなかったのに。</div><div><br></div><div>朝会だか、夕会だかで発言した。　</div><div><br></div><div>シャツインを揃えましょう。書いていて思ったが、こんな間抜けな話はない。</div><div><br></div><div>そしたら、反対の声が、ちゃんとあった。</div><div><br></div><div>発言する前に、そういう声があることをある程度確認すべきだったと反省した。</div><div><br></div><div>ださい、普段そんな着方はしないという声もあったし、ぼくもそう思っていた。</div><div><br></div><div>だがそれだけじゃない。</div><div><br></div><div>熱中症の対策にもなるのだ。</div><div><br></div><div>シャツを出すことで、熱が逃げ、</div><div>2、3度下がるというのだ。</div><div><br></div><div>実際、和光を含む、いくつかの小学校がシャツ出し運動会をやっていることが分かった。</div><div><br></div><div>だとすれば、</div><div><br></div><div>もう、出してしまえばいい。</div><div><br></div><div>大人も子どもも。</div><div><br></div><div>さあ、古から伝わる文化を、揺さぶる。</div><div><br></div><div>そして、変える。</div><div><br></div><div>あまり飛ばすと疲れるので、長距離走だと意識しながら。</div><div><br></div><div>時間はまだまだあるはず。</div><div><br></div><div>以下は昔の、水筒とかお手洗いの話</div>
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	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/6945654">
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/443425/3e11339f016dfa62aac4aed68f917d9a_0b84e5449e213cbc66a285aef6736c9f.jpg" width="100%">
			<small><b>水筒とかお手洗いの話</b></small>
			<br>
			<small>どんな研修に出ても、やたらとお茶や水をテーブルに出すことにうるさくなった、「ある年」があった。仕事の研修の話である。研修前にしつこくアナウンスするし、それでも出しっぱにしておくと、わざわざしまうよに言</small>
		</a>
		</figure>
	</div>]]></content></entry><entry><title><![CDATA[発見に胸がふるえる。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8695503/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8695503</id><summary><![CDATA[子どもの発言に心が震える瞬間というのが、年に何度かある。想定していないことというか、授業の流れにその子の一言が、学びに深さを生むというか、今みんなで勉強していることは、すごい価値のあることだったんだと、自分の方が気付かされるような瞬間。この発言を、流れを、壊してはならないと慎重になる。強引に引っ張てはいけない、だけど流してしまってもいけない。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-07-03T12:53:04+00:00</published><updated>2020-07-03T13:39:35+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>子どもの発言に心が震える瞬間というのが、年に何度かある。</div><div><br></div><div>想定していないことというか、授業の流れにその子の一言が、学びに深さを生むというか、</div><div><br></div><div>今みんなで勉強していることは、すごい価値のあることだったんだと、自分の方が気付かされるような瞬間。</div><div><br></div><div>この発言を、流れを、壊してはならないと慎重になる。</div><div><br></div><div>強引に引っ張てはいけない、だけど流してしまってもいけない。</div>
		</div>
	
		<div>
			<div>震える瞬間は、発言だけではない。</div><div><br></div><div>心震える瞬間は、子どもの書いたものを読んでるときも訪れる。</div><div><br></div><div>ある年のこと、物語文の紹介レポートのようなことを授業で扱った。</div><div><br></div><div>出会ってわりとすぐのこと。</div><div>その子たちは、低学年。</div><div>書くことに躊躇いのない子どもたち。</div><div><br></div><div>最初なんて、書けない子が半分で当たり前くらいに想定していたから、びっくりした。</div><div><br></div><div>書くことに勢いがある。</div><div><br></div><div>最初に登場人物のこと（性格や外見）を読み取り、箇条書きさせた。</div><div>その中で、「やさしい」など、多くの子どもが書いていたところを取り上げ、証拠探し（根拠となる文に線を書く）を行った。</div><div><br></div><div>以上の読み取りを、レポートの「はじめ」に文章で書く。</div><div><br></div><div>その次からは、出来事を読み取り、</div><div><br></div><div>それをあらすじにして、レポートの「中」に書く。</div><div><br></div><div>最後は、「おわり」に感想を書く。</div><div><br></div><div>そんな感じでのレポートづくり。</div><div><br></div><div>それが終われば、小さくイラストなんかを入れて、画用紙に貼った。</div><div><br></div><div>放課後、その一つ一つを読んでいるときである。</div><div><br></div><div>ある子のレポートに、心震える瞬間が訪れた。</div><div><br></div><div>あらすじの言葉が、教科書のものでも、多くの子が用いているような授業の言葉とも少し違う。</div><div><br></div><div>なぜそうなるのか。</div><div><br></div><div>あらすじが、的確。</div><div><br></div><div>だけどそれだけじゃない。そういう子は、他にもいる。</div><div><br></div><div>それは、自分なりの解釈を入れながら表現しているからである。</div><div><br></div><div>教科書のビルを、自分の知っているビルと重ねて表現したり、</div><div><br></div><div>登場人物の動きに対し、自分だったらこうするけど、そこではこうだったなどの、解釈がすてき。</div><div><br></div><div>そういう文章が続く。</div><div><br></div><div>その子にしか書けないレポートである。</div><div><br></div><div>そして、震える理由のもう一つは、発言の多い子ではないというところにもある。</div><div><br></div><div>日常でも、話しかけてくれることは多くあったが、どこかゆっくりしているというか、マイペースというか。</div><div><br></div><div>気にして見てあげなきゃな、というところがあった。</div><div><br></div><div>靴を脱ぎ履き替えたりしたら、下駄箱にしまうのを忘れちゃう。</div><div><br></div><div>そういうところがあった。</div><div><br></div><div>その子の語彙力、言葉の表現力、内面での言語活動。</div><div><br></div><div>ぼくの、ものさし（観察？）なんかじゃはかれない。</div><div><br></div><div>簡単に、はかろうとしたら、いけないなぁと思った。</div><div><br></div><div>そのときの感動を思い出し、今涙が出てる笑</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[一筆箋]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8662728/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8662728</id><summary><![CDATA[あるご家庭から、連絡帳や電話など、なんらかのアプローチがあった場合、その子の学校での姿をなんらかの方法で返した方がよいなぁということを最近思う。学校生活に対して、なんらかの不安が、そういうアプローチに繋がっていると思うからである。できれば、よいところ、本日の活躍。そういうことを、伝えるつもりで電話をしたはずなのに、「今日怒られたと聞いています。」「今日は、「なになに」しませんでしたか？」そういう風に、根掘り葉掘り・・しまった。当初のイメージと違う。僕が怒ったことを、家でもとなると、そればかわいそうだなぁと思う。ということで一筆箋で、成長や活躍をフィードバックすることにした。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-06-30T13:03:38+00:00</published><updated>2020-06-30T13:15:09+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>あるご家庭から、連絡帳や電話など、なんらかのアプローチがあった場合、</div><div><br></div><div>その子の学校での姿をなんらかの方法で返した方がよいなぁということを最近思う。</div><div><br></div><div>学校生活に対して、なんらかの不安が、そういうアプローチに繋がっていると思うからである。</div><div><br></div><div>できれば、よいところ、本日の活躍。</div><div><br></div><div>そういうことを、伝えるつもりで電話をしたはずなのに、</div><div><br></div><div>「今日怒られたと聞いています。」</div><div><br></div><div>「今日は、「なになに」しませんでしたか？」</div><div><br></div><div>そういう風に、根掘り葉掘り・・</div><div><br></div><div>しまった。当初のイメージと違う。</div><div><br></div><div>僕が怒ったことを、家でもとなると、そればかわいそうだなぁと思う。</div><div><br></div><div>ということで一筆箋で、成長や活躍をフィードバックすることにした。</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[立ち歩きについての再考]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8604861/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8604861</id><summary><![CDATA[前々回は、「結局怒ってしまった」を書いたが、見る人から見れば、それでも優しすぎるそうだ。前回は、「煽り」という風物詩について書いた。今は、毎日、子どもと楽しむというか、少しずつできることが増えるようにと作戦をたてることが楽しい。煽りを感じた日があったが、淡々と考えを述べることで、そういうことはなくなった。伝わったか、諦めたか笑さて、ぼくは、いまゆっくりと立ち歩きについて考えている。今まで、10人くらかなぁ、はっきり思い出せるのは。これは、時間がかかるだろうなぁという子が4人。席を立つだけなら問題ないが、外に出ちゃったり、黒板の字を消しに来たり、マグネットや視聴覚、教師用定規なども、触りたくなる。休み時間ならまだしも、授業中、それも大事な話をしているときだったりするから、指導しなきゃいけなくなる。ただし、怒ってばっかでは、授業が面白くなくなるし、全体的な空気が重くなる。それは、避ける。しつこーく、繰り返されるとき、あまりに激しいとき、厳しく言わざる得ないことはあるが、一日中というのは、避けたい。何されても、もうほっとく時もあれば、ドリルならできるの？と、場合によってだが、その子が別課題を選択することだってやってみる。くすぐったり、ムツゴロウ方式というのか、わしゃわしゃしたり、しながら授業を進めることもある。いずれにせよ「できたね」ということを積み重ねる。着席時間を1分ずつ増やしていったり、迷路なら座ってできた！という達成感を味わってもらったり。近くに立っていればオッケーにしたり、黒板の前に椅子を置き、そこだったらオッケーという時間を作ったり。だが、これが、「すわれ！」という威圧の連続だったら、本人は「できた」なんて感じない。今後に繋がる意味合いが、全然違うのだ。威圧により「座らせられた」と、思う気持ちは、次に何を抱くのか、反発の気持ちや無気力だろう。1年間押さえつけらることごできたとしても、なんの解決にもならない。そういうことを、安易に「座れ！」で片付けようとする人たちに伝えたい。年齢が上がれば、大人不信、学校不信にも繋がってしまう。もう少し全体が落ち着いたら、「見てご覧、今はね、みんなに説明しているからね。あとでだったら聞くからね」と丁寧に伝えていきたい。奇声なんかもそう、声をあげてしまったのだから、「うるさい！」という威圧で片付けられても、意味がない。大きな声を出してしまう子も、出したあとで「しまった」という気持ちになっている場合が多いと思う。わかっちゃいるのだ、けど難しい。そんなところだと思う。いっしょに「できた」をつくる。それがいい。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-06-25T15:15:47+00:00</published><updated>2020-06-27T09:32:31+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>前々回は、「結局怒ってしまった」を書いたが、見る人から見れば、</div><div><br></div><div>それでも優しすぎるそうだ。</div><div><br></div><div>前回は、「煽り」という風物詩について書いた。</div><div><br></div><div>今は、毎日、子どもと楽しむというか、少しずつできることが増えるようにと作戦をたてることが楽しい。</div><div><br></div><div>煽りを感じた日があったが、淡々と考えを述べることで、そういうことはなくなった。</div><div><br></div><div>伝わったか、諦めたか笑</div><div><br></div><div>さて、ぼくは、いまゆっくりと立ち歩きについて考えている。</div><div><br></div><div>今まで、10人くらかなぁ、はっきり思い出せるのは。</div><div><br></div><div>これは、時間がかかるだろうなぁという子が4人。</div><div><br></div><div>席を立つだけなら問題ないが、外に出ちゃったり、黒板の字を消しに来たり、マグネットや視聴覚、教師用定規なども、触りたくなる。</div><div><br></div><div>休み時間ならまだしも、授業中、それも大事な話をしているときだったりするから、指導しなきゃいけなくなる。</div><div><br></div><div>ただし、怒ってばっかでは、授業が面白くなくなるし、全体的な空気が重くなる。</div><div><br></div><div>それは、避ける。</div><div><br></div><div>しつこーく、繰り返されるとき、あまりに激しいとき、厳しく言わざる得ないことはあるが、</div><div><br></div><div>一日中というのは、避けたい。</div><div><br></div><div>何されても、もうほっとく時もあれば、</div><div><br></div><div>ドリルならできるの？と、場合によってだが、その子が別課題を選択することだってやってみる。</div><div><br></div><div>くすぐったり、ムツゴロウ方式というのか、わしゃわしゃしたり、しながら授業を進めることもある。</div><div><br></div><div>いずれにせよ「できたね」ということを積み重ねる。</div><div><br></div><div>着席時間を1分ずつ増やしていったり、迷路なら座ってできた！という達成感を味わってもらったり。</div><div><br></div><div>近くに立っていればオッケーにしたり、黒板の前に椅子を置き、そこだったらオッケーという時間を作ったり。</div><div><br></div><div>だが、これが、「すわれ！」という威圧の連続だったら、</div><div><br></div><div>本人は「できた」なんて感じない。</div><div><br></div><div>今後に繋がる意味合いが、全然違うのだ。</div><div><br></div><div>威圧により「座らせられた」と、思う気持ちは、次に何を抱くのか、</div><div><br></div><div>反発の気持ちや無気力だろう。</div><div><br></div><div>1年間押さえつけらることごできたとしても、なんの解決にもならない。</div><div><br></div><div>そういうことを、安易に「座れ！」で片付けようとする人たちに伝えたい。</div><div><br></div><div>年齢が上がれば、大人不信、学校不信にも繋がってしまう。</div><div><br></div><div>もう少し全体が落ち着いたら、「見てご覧、今はね、みんなに説明しているからね。あとでだったら聞くからね」と丁寧に伝えていきたい。</div><div><br></div><div>奇声なんかもそう、</div><div><br></div><div>声をあげてしまったのだから、</div><div><br></div><div>「うるさい！」という威圧で片付けられても、意味がない。</div><div><br></div><div>大きな声を出してしまう子も、</div><div><br></div><div>出したあとで「しまった」という気持ちになっている場合が多いと思う。</div><div><br></div><div>わかっちゃいるのだ、けど難しい。</div><div><br></div><div>そんなところだと思う。</div><div><br></div><div>いっしょに「できた」をつくる。</div><div><br></div><div>それがいい。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[まだ一週間。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8560787/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8560787</id><summary><![CDATA[たった一週間しか経ってないはずだが、色々あった。色々あったのは、金曜日1日かもしれない。そして、色々に付随して少々の「煽り」にあった。（最初は、「煽り運転」と書こうと思ったが、YouTubeの映像を見ると「これはひどい！」というものばかりで、そこまで言ってしまうと不謹慎だと考え直し、少々の「煽り」にと修正した。）この少々の「煽り」というのは、ぼくやその学級に対して、不安だから起こる、「あーしてほしい、こーしてほしい」と言われる現象である。ぼくはもうこの少々の「煽り」を恒例行事と思い、春の風物詩みたいに感じたほうが、どうにかこうにか、言われたことを消化できるのではないかと、今考えている。一体何度言われたことか。言われるたんびに、頭に来たり、はぁ？と思ったり、辛くなったり、わなわなしたり。これから先も言われるのかと思うと泣きそうになる。自分になにか非があるのではないかと思いそうになったが、やめた。少々の「煽り」を恒例行事と思うことで、「今年もでたでた」「よっしゃきたきた」みたいな、感覚で受け入れられるのではないかということである。今までもこれからも行われる恒例行事だから、ここで書く管●職や学校は、ある個人やある学校を特定したものではない。あくまで、一般論であり、イメージである。ということを、あらかじめ断っておく。以下は、どの個人もどの学校も特定していない、この恒例行事についてである。何をよ　恒例的に言われるかというと、「そろそろシメた方がいい」というのが結論である。え？大きな声で怒るんですか？と聞くと、そうじゃない！それはよくない！と言われるから、ますますイメージが湧かない。「とにかく問題は、楽しい楽しいになっている」と言われるのである。恒例行事的に言われる。それが何か？と聞くと、学級の約束ができていないというわけである。一般的な管●職の感覚なのだろう。約束とは？と聞く。立ち歩きや大声、が目立つという。一応、もう一つ断っておくが、ぼく（担任）の立ち歩きや大声ではない。子どものである。その度に思うことは、いやいや昨年だって間違いなく、立ち歩きや大声があって、それを注意してきたでしょ？ということ。そして心配が早すぎる。「約束にします」って言えば、あるいは、きつく怒ればなくなると本気で思っているのか？寧ろ、そんな簡単にできるならやっていただきたい。できないから絶対、笑これまでに出会った子どもたちの、立ち歩きや大声、奇声が、なぜ無くなったのか考えてみたが思い出せない。ただ、その表面的なことのみを取り上げてもダメだろう。というのはいつも思ってきた。もっともっと根っこにある部分を温めなければいけない。それには、長い時間と試行錯誤、そして仲間との繋がりみたいなものが必要だと、毎年思ってきた。恒例行事に対して、あーそういうことが見えないんだなぁ仕方ないなぁとか、心配してくれてるんだなぁありがたいなぁと、大らかに受け入れられるよう成長していきたい。今までだって、みんなで授業を楽しむことができるようになったわけだし、立ち歩きや大声だって、だんだんだんだんなくなっていった。そんなことを心の支えにして、ぼくができることは、一日一日を、ゆっくり丁寧に積み重ねるだけである。本当それしか思いつかない。申し訳ないが、恒例行事の「煽り」にのっかることはない。寧ろ、そこに「引っ張られない」ことこそが、ぼくにとって必要な最初の手立てである。これも、恒例行事である。今日は、久々に山崎さんにお会いできた。たくさんお話をする中で、今までの子どもたちのことを思い出したり、山崎さんの担任時代の情景がまた一つ思い浮かんできたりした。そんなことを通して、今まで通りやっていくのが一番だなぁと、また一層、肩の力が抜けたというか、来週からも大丈夫そうだと確認できた。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-06-20T14:58:40+00:00</published><updated>2020-06-20T16:06:53+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>たった一週間しか経ってないはずだが、色々あった。</div><div><br></div><div>色々あったのは、金曜日1日かもしれない。</div><div><br></div><div>そして、色々に付随して少々の「煽り」にあった。</div><div><br></div><div>（最初は、「煽り運転」と書こうと思ったが、YouTubeの映像を見ると「これはひどい！」というものばかりで、そこまで言ってしまうと不謹慎だと考え直し、少々の「煽り」にと修正した。）</div><div><br></div><div>この少々の「煽り」というのは、ぼくやその学級に対して、不安だから起こる、</div><div><br></div><div>「あーしてほしい、こーしてほしい」と言われる現象である。</div><div><br></div><div>ぼくはもうこの少々の「煽り」を恒例行事と思い、春の風物詩みたいに感じたほうが、</div><div><br></div><div>どうにかこうにか、言われたことを消化できるのではないかと、今考えている。</div><div><br></div><div>一体何度言われたことか。</div><div><br></div><div>言われるたんびに、頭に来たり、はぁ？と思ったり、辛くなったり、わなわなしたり。</div><div><br></div><div>これから先も言われるのかと思うと泣きそうになる。</div><div><br></div><div>自分になにか非があるのではないかと思いそうになったが、やめた。</div><div><br></div><div>少々の「煽り」を恒例行事と思うことで、</div><div><br></div><div>「今年もでたでた」「よっしゃきたきた」みたいな、感覚で受け入れられるのではないかということである。</div><div><br></div><div>今までもこれからも行われる恒例行事だから、ここで書く管●職や学校は、ある個人やある学校を特定したものではない。</div><div><br></div><div>あくまで、一般論であり、イメージである。</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">ということを、あらかじめ断っておく。</span><br></div><div><br></div><div>以下は、どの個人もどの学校も特定していない、この恒例行事についてである。</div><div><br></div><div>何をよ　恒例的に言われるかというと、</div><div><br></div><div>「そろそろシメた方がいい」というのが結論である。</div><div><br></div><div>え？大きな声で怒るんですか？と聞くと、</div><div><br></div><div>そうじゃない！それはよくない！と言われるから、ますますイメージが湧かない。</div><div><br></div><div>「とにかく問題は、楽しい楽しいになっている」と言われるのである。</div><div><br></div><div>恒例行事的に言われる。</div><div><br></div><div>それが何か？と聞くと、</div><div><br></div><div>学級の約束ができていないというわけである。一般的な管●職の感覚なのだろう。</div><div><br></div><div>約束とは？と聞く。</div><div><br></div><div>立ち歩きや大声、が目立つという。</div><div><br></div><div>一応、もう一つ断っておくが、ぼく（担任）の立ち歩きや大声ではない。</div><div><br></div><div>子どものである。</div><div><br></div><div>その度に思うことは、いやいや昨年だって間違いなく、立ち歩きや大声があって、それを注意してきたでしょ？ということ。</div><div><br></div><div>そして心配が早すぎる。</div><div><br></div><div>「約束にします」って言えば、</div><div><br></div><div>あるいは、きつく怒ればなくなると本気で思っているのか？</div><div><br></div><div>寧ろ、そんな簡単にできるならやっていただきたい。できないから絶対、笑</div><div><br></div><div>これまでに出会った子どもたちの、立ち歩きや大声、奇声が、なぜ無くなったのか考えてみたが思い出せない。</div><div><br></div><div>ただ、その表面的なことのみを取り上げてもダメだろう。というのはいつも思ってきた。</div><div><br></div><div>もっともっと根っこにある部分を温めなければいけない。</div><div><br></div><div>それには、長い時間と試行錯誤、そして仲間との繋がりみたいなものが必要だと、毎年思ってきた。</div><div><br></div><div>恒例行事に対して、</div><div><br></div><div>あーそういうことが見えないんだなぁ仕方ないなぁとか、</div><div><br></div><div>心配してくれてるんだなぁありがたいなぁと、</div><div><br></div><div>大らかに受け入れられるよう成長していきたい。</div><div><br></div><div>今までだって、みんなで授業を楽しむことができるようになったわけだし、</div><div><br></div><div>立ち歩きや大声だって、だんだんだんだんなくなっていった。</div><div><br></div><div>そんなことを心の支えにして、</div><div><br></div><div>ぼくができることは、一日一日を、ゆっくり丁寧に積み重ねるだけである。</div><div><br></div><div>本当それしか思いつかない。</div><div><br></div><div>申し訳ないが、恒例行事の「煽り」にのっかることはない。</div><div><br></div><div>寧ろ、そこに「引っ張られない」ことこそが、</div><div><br></div><div>ぼくにとって必要な最初の手立てである。</div><div><br></div><div>これも、恒例行事である。</div><div><br></div><div>今日は、久々に山崎さんにお会いできた。</div><div><br></div><div>たくさんお話をする中で、今までの子どもたちのことを思い出したり、</div><div><br></div><div>山崎さんの担任時代の情景がまた一つ思い浮かんできたりした。</div><div><br></div><div>そんなことを通して、今まで通りやっていくのが一番だなぁと、</div><div><br></div><div>また一層、肩の力が抜けたというか、</div><div><br></div><div>来週からも大丈夫そうだと確認できた。</div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[結局、怒ってしまった。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8541593/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8541593</id><summary><![CDATA[「みんな一生懸命やっているんだ！邪魔しないで！」これに近い感じ。一斉の難しさ・・一対一なら・・と思うことがある。前回のブログから3日・・腹を括り切れていないというか、短気というか・・飛び出してくる現象に対して、大らかにいたかったが・・修業が足りないと思った。その分、またなんか作戦を考えたいなぁ。そして、今年度より、ノーチャイムの環境。ぼくのクラスの子どもたちは、発達の段階もあると思うが、時計を見る習慣があまりない。ノーチャイムだけど笑休み時間じゃないところで外に行こうとする。休み時間と授業の境が難しそう。だけど、よく見ると、次の時間の準備をきちんとしている子がいた。最初は、2人。「座って」とか、「授業やるよ」とか言わず、盛大に2人を褒めた。この子たちのがんばりは、見逃してはいけないと思った。しっかりしてるなぁ。そして、周りの子がそれに気付く。そのあと、今日は、教科書とノートを準備することが流行った。音楽に行くときも、その次の算数の教科書を机に出したり。いつもは準備に時間のかかる子も「こういうときは出さなきゃね」とやる気いっぱいだった。もっと面白いことを考えた。準備が苦手な子や片付けが苦手な子もだいたい分かってきた。片手ははみ出るが両手に収まるくらいの人数。明日。その子たちが、席に着く前に、ぼくが教科書とノートを出してしまう。そして、時間になったら「教科書ノート、机にある人？」と笑顔で聞く。面白そうだ笑席についていなくても、手を上げてくれそう。それとも、驚くかな。帰りは、のんびりな子と教室で2人になった。時間でさよならをするので、連絡帳や帰りの準備に時間がかかる子が教室に残る。その子が「必殺技おねがい」と言う。ぼくが、必殺技と言ったわけではないが、そう言って連絡帳を書いてと伝えてきた。「今日は特別だよ」と言って、快く引き受けた。連日特別、笑さて、頭を柔らかくして、この必殺技を増やしていきたい。本当は、「必殺技」より「魔法」というネーミングがいいな笑]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-06-18T11:23:49+00:00</published><updated>2020-06-18T13:40:23+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>「みんな一生懸命やっているんだ！邪魔しないで！」</div><div><br></div><div>これに近い感じ。</div><div><br></div><div>一斉の難しさ・・一対一なら・・と思うことがある。</div><div><br></div><div>前回のブログから3日・・</div><div><br></div><div>腹を括り切れていないというか、短気というか・・</div><div><br></div><div>飛び出してくる現象に対して、大らかにいたかったが・・修業が足りないと思った。</div><div><br></div><div>その分、またなんか作戦を考えたいなぁ。</div><div><br></div><div>そして、今年度より、ノーチャイムの環境。</div><div><br></div><div>ぼくのクラスの子どもたちは、発達の段階もあると思うが、時計を見る習慣があまりない。</div><div><br></div><div>ノーチャイムだけど笑</div><div><br></div><div>休み時間じゃないところで外に行こうとする。</div><div><br></div><div>休み時間と授業の境が難しそう。</div><div><br></div><div>だけど、よく見ると、次の時間の準備をきちんとしている子がいた。</div><div><br></div><div>最初は、2人。</div><div><br></div><div>「座って」とか、「授業やるよ」とか言わず、盛大に2人を褒めた。</div><div><br></div><div>この子たちのがんばりは、見逃してはいけないと思った。</div><div><br></div><div>しっかりしてるなぁ。</div><div><br></div><div>そして、周りの子がそれに気付く。</div><div><br></div><div>そのあと、今日は、教科書とノートを準備することが流行った。</div><div><br></div><div>音楽に行くときも、その次の算数の教科書を机に出したり。</div><div><br></div><div>いつもは準備に時間のかかる子も「こういうときは出さなきゃね」とやる気いっぱいだった。</div><div><br></div><div>もっと面白いことを考えた。</div><div><br></div><div>準備が苦手な子や片付けが苦手な子もだいたい分かってきた。</div><div><br></div><div>片手ははみ出るが両手に収まるくらいの人数。</div><div><br></div><div>明日。その子たちが、席に着く前に、ぼくが教科書とノートを出してしまう。</div><div><br></div><div>そして、時間になったら「教科書ノート、机にある人？」と笑顔で聞く。</div><div><br></div><div>面白そうだ笑</div><div><br></div><div>席についていなくても、手を上げてくれそう。</div><div><br></div><div>それとも、驚くかな。</div><div><br></div><div>帰りは、のんびりな子と教室で2人になった。</div><div><br></div><div>時間でさよならをするので、連絡帳や帰りの準備に時間がかかる子が教室に残る。</div><div><br></div><div>その子が「必殺技おねがい」と言う。</div><div><br></div><div>ぼくが、必殺技と言ったわけではないが、そう言って連絡帳を書いてと伝えてきた。</div><div><br></div><div>「今日は特別だよ」と言って、快く引き受けた。</div><div><br></div><div>連日特別、笑</div><div><br></div><div>さて、頭を柔らかくして、この必殺技を増やしていきたい。</div><div><br></div><div>本当は、「必殺技」より「魔法」というネーミングがいいな笑</div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[学級づくり、失敗ばかり。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8505337/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8505337</id><summary><![CDATA[本日から賑やかになった。具体的には書かないけど、「飛び出してくる子」が今年もいる。4人くらい。どうしていくつもりか？とか、誰に聞かれたわけではないが、毎年どうしていたんだっけ？とちょっと考えた。間違いなく言えることは、かなり三密に頼ってきた。しゃべりか、ペアトーク、大根抜き、握手、グループで大きなホワイトボード、すごろく、肩を組んであんたがたどこさ、もうじゅうがり、しっぽとり、仲間と体をくっつけて漢字を作ったり地図記号を作ったり。寧ろ三密が、ぼくの学級づくりだ！と言ってもいい。こんな状況だが、できそうなことも少しずつ分かってきた。同時に、手探りによる失敗も多い。やってみたら、子どもたちには難しく、時間的にもバタバタなったり、うまくいかず。ノーチャイムにも慣れず。自分が笑そんな中だけど子どもの好きなもの、好きなこと、話したいことが、少しずーつ分かってきた。恐竜が好きだという子に、なんの恐竜が一番好きなのか聞いたら「お前に言っても分かんないから教えない」と言ってきた笑ここで、「おい、お前とか言うな笑」と言っても、「うるせー」となる。明日あたり恐竜図鑑をもっていく。毎日一匹、黒板にポケモンを書いている。帰りの準備がマイペースなある子が、ポケモン描いていい？というから、もうみんな帰ったし、いいかなぁと思って、どうぞと言う。巨大マックスのカビゴンを丁寧に描いた。そして、「描き方覚えた？こうやってかくんだよ？いい？明日描いてね」と言われた笑毎年、子どもの発言を受け止める中で、楽しい感じが出てきたり、授業の中でのやりとりで冗談もたくさんやる。すると、硬そうな肩や表情が柔ぎ、聞いて聞いてが増える。「飛び出していた子」も、何か聞いてほしくなって、授業の中で関わってくる。焦らず慌てず。というか、まだ、ほぼ初日だ笑明日の国語は、「ダウト」から始まる。書くことは、まだまーだ、スモールステップを踏む。どんな係活動が始まるのかも楽しみだ。明日のクラスタイムは、読み聞かせ。「世界で一番やかましい音」に決めた。楽しさ、笑いの共有。体は離れていても（ほんとは、30も40人もいれば、何にせよ密以外のなにものでもないと思うが）、心は近づく。そんな感じかなぁ。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-06-15T13:30:58+00:00</published><updated>2020-06-15T14:11:59+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>本日から賑やかになった。</div><div><br></div><div>具体的には書かないけど、「飛び出してくる子」が今年もいる。4人くらい。</div><div><br></div><div>どうしていくつもりか？とか、誰に聞かれたわけではないが、</div><div><br></div><div>毎年どうしていたんだっけ？とちょっと考えた。</div><div><br></div><div>間違いなく言えることは、かなり三密に頼ってきた。</div><div><br></div><div>しゃべりか、ペアトーク、大根抜き、握手、グループで大きなホワイトボード、すごろく、肩を組んであんたがたどこさ、もうじゅうがり、しっぽとり、仲間と体をくっつけて漢字を作ったり地図記号を作ったり。</div><div><br></div><div>寧ろ三密が、ぼくの学級づくりだ！と言ってもいい。</div><div><br></div><div>こんな状況だが、できそうなことも少しずつ分かってきた。</div><div><br></div><div>同時に、手探りによる失敗も多い。</div><div><br></div><div>やってみたら、子どもたちには難しく、時間的にもバタバタなったり、</div><div><br></div><div>うまくいかず。</div><div><br></div><div>ノーチャイムにも慣れず。自分が笑</div><div><br></div><div>そんな中だけど</div><div><br></div><div>子どもの好きなもの、好きなこと、話したいことが、少しずーつ分かってきた。</div><div><br></div><div>恐竜が好きだという子に、なんの恐竜が一番好きなのか聞いたら「お前に言っても分かんないから教えない」と言ってきた笑</div><div><br></div><div>ここで、「おい、お前とか言うな笑」</div><div><br></div><div>と言っても、「うるせー」となる。</div><div><br></div><div>明日あたり恐竜図鑑をもっていく。</div><div><br></div><div>毎日一匹、黒板にポケモンを書いている。</div><div><br></div><div>帰りの準備がマイペースなある子が、</div><div><br></div><div>ポケモン描いていい？というから、</div><div><br></div><div>もうみんな帰ったし、いいかなぁと思って、どうぞと言う。</div><div><br></div><div>巨大マックスのカビゴンを丁寧に描いた。</div><div><br></div><div>そして、</div><div><br></div><div>「描き方覚えた？こうやってかくんだよ？いい？明日描いてね」と言われた笑</div><div><br></div><div>毎年、子どもの発言を受け止める中で、楽しい感じが出てきたり、</div><div><br></div><div>授業の中でのやりとりで冗談もたくさんやる。</div><div><br></div><div>すると、硬そうな肩や表情が柔ぎ、聞いて聞いてが増える。</div><div><br></div><div>「飛び出していた子」も、何か聞いてほしくなって、授業の中で関わってくる。</div><div><br></div><div>焦らず慌てず。</div><div><br></div><div>というか、まだ、ほぼ初日だ笑</div><div><br></div><div>明日の国語は、「ダウト」から始まる。</div><div><br></div><div>書くことは、まだまーだ、スモールステップを踏む。</div><div><br></div><div>どんな係活動が始まるのかも楽しみだ。</div><div><br></div><div>明日のクラスタイムは、読み聞かせ。</div><div><br></div><div>「世界で一番やかましい音」に決めた。</div><div><br></div><div>楽しさ、笑いの共有。</div><div><br></div><div>体は離れていても（ほんとは、30も40人もいれば、何にせよ密以外のなにものでもないと思うが）、心は近づく。</div><div><br></div><div>そんな感じかなぁ。</div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ようやくのはじまりと、初任のときを思い出して]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8396742/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8396742</id><summary><![CDATA[無事に・・と言えるのかいえないのか、それでも、ようやく始まってよかった。まだ1週間なのかぁ。それも分散登校。出席番号の奇数組と偶数組が、午前と午後を交代して過ごす。外体育があれば、午前と午後に1時間ずつ、暑い中、体を動かすわけであり、中休みの外遊びも二回味わう。一緒に遊ぼうと言われる。と、断るわけにはいかない笑このコロナ対応で追われる中、初任として始まった人も、もちろんいる。臨時休校の時期、どうしても欲しい本があって、書店に行った日。そこに、何冊も何冊も教育者をカゴに入れる若者が何人もいた。いろいろな教育書が、書店に並んでいるわけだが、初任の不安を煽る本が多い。学級崩壊させないために、とか武器が必要、とかこうすればうまくいく、とかぼくが、なんだかなぁと思うのはネガティブな要素ばかりが並んでいる点について。読んでいると、予防線を張ることに一生懸命にならないかなぁという気持ちになる。予防線を張るという行為には、終わりがない。なので疲弊してしまう。一年後。３月の最後の日。教室に立てていたら十分やり切ったと思っていいと思う。よくやったぁ自分と思ってほしい。（たまに、私なんかが担任で・・と聞いたりすることもあるが、そんなこと思わないでほしい）その日まで、苦しい日があったかもしれないし、傷つくことを言われたこともあったかもしれないし・・途中、長く休んじゃったとしてもである。（ぼくはけっこう忘れてしまう）最後の日。全ては、この日を迎えるためにあったんだ。と、辛かったことも、笑い話に変えてほしい。ぼくも、そうありたい。笑えないことももちろんあるけど笑だけど、不安を煽るような、ネガティブな気持ちにさせるバロメーターが生まれやすい環境が確かにある。学テもそうだし、学テのための学テもそうだし、ぎゅうぎゅうのカリキュラムもそう、各地区の方針なんかもあやしい。心の余裕がないとうまくいくものもうまくいかない。なのに、現場に余裕がなさそう。ぼくは、最初の年、なぜだか学級崩壊の夢を何度も見た。初めての仕事に対する、プレッシャーだろう。２年目からは一度も見てない笑ピンチの時もあったはずだが、そういう夢は見なくなった。学校に行きたくない日も多かったと思う。別に、子どもが理由というわけではない。睡眠不足、ヘルペス、人見知り、・・初めて働くのだ、プレッシャーは当たり前。先日の本屋からは、そんな初任に対して、さらに不安を煽るような文言を、いくつかの本から感じたというわけである。余計、体を壊しそうだ。初任の頃。ぼくは、「行きたくないなぁ」と思う朝、何を考えていたか。ぼくは、休み時間のことしか考えてなかった。言い過ぎかもしれないが、ウソでもない笑缶蹴りをやったり、ドッジボールをやったり、ふえおににドロケイ。教室遊びの本もたくさんもっていた。昨日なんだかうまくいかなかった、あの子を捕まえようとか、連日怒ってしまったあの子を誘おうとか、ドッジでは、大人ならではの速いボールをあの子に・・などなど、そういう時間のことを考えて楽しい気持ちをつくっていた。学年主任からは、学期の最後は遊んで帰す（そして体育館や校庭がよくあいている）、という技もいただいた。長期休み明け特有の、「あーまた始まる・・」というちょっと重たい気持ちも、繰り返し味わう中で、久々に子どもたちの顔を見るというのは、安心するんだなぁということも覚えた。土日の勉強の会も、よかった。人の実践報告を聞きながら自分のクラスの〇〇くんを思い出す。ただそれだけなのだが、月曜日から優しく接せられる気がしたり、もっと、笑顔で過ごさなければと思わされたり。ようやくのスタート。今年度もいろいろな子がいることが分かった。当たり前のことだけど。それをちゃんと面白いと感じ、焦りそうになっても（怒るのはかんたん、今度でもできると自分に言い聞かせ）毎年なんとかなってきたでしょと自分に言い聞かせ、一日一日、楽しんで過ごすことを大切にしたい。笑顔で。そういえば、金曜の下校の時間。下駄箱で「月曜日またあおーねー」と言われた。ずーっと授業の時間、ティッシュを割いていた子。思い出すと、また明日が楽しみになる。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-06-05T11:58:37+00:00</published><updated>2020-06-07T14:28:38+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>無事に・・と言えるのかいえないのか、それでも、ようやく始まってよかった。</div><div><br></div><div>まだ1週間なのかぁ。</div><div><br></div><div>それも分散登校。出席番号の奇数組と偶数組が、午前と午後を交代して過ごす。</div><div><br></div><div>外体育があれば、午前と午後に1時間ずつ、暑い中、体を動かすわけであり、</div><div><br></div><div>中休みの外遊びも二回味わう。</div><div><br></div><div>一緒に遊ぼうと言われる。と、断るわけにはいかない笑</div><div><br></div><div>このコロナ対応で追われる中、初任として始まった人も、もちろんいる。</div><div><br></div><div>臨時休校の時期、どうしても欲しい本があって、書店に行った日。</div><div><br></div><div>そこに、何冊も何冊も教育者をカゴに入れる若者が何人もいた。</div><div><br></div><div>いろいろな教育書が、書店に並んでいるわけだが、初任の不安を煽る本が多い。</div><div><br></div><div>学級崩壊させないために、とか</div><div><br></div><div>武器が必要、とか</div><div><br></div><div>こうすればうまくいく、とか</div><div><br></div><div>ぼくが、なんだかなぁと思うのはネガティブな要素ばかりが並んでいる点について。</div><div><br></div><div>読んでいると、予防線を張ることに一生懸命にならないかなぁという気持ちになる。</div><div><br></div><div>予防線を張るという行為には、終わりがない。</div><div><br></div><div>なので疲弊してしまう。</div><div><br></div><div>一年後。３月の最後の日。</div><div><br></div><div>教室に立てていたら十分やり切ったと思っていいと思う。</div><div><br></div><div>よくやったぁ自分と思ってほしい。</div><div><br></div><div>（たまに、私なんかが担任で・・と聞いたりすることもあるが、そんなこと思わないでほしい）</div><div><br></div><div>その日まで、苦しい日があったかもしれないし、傷つくことを言われたこともあったかもしれないし・・途中、長く休んじゃったとしてもである。</div><div>（ぼくはけっこう忘れてしまう）</div><div><br></div><div>最後の日。全ては、この日を迎えるためにあったんだ。</div><div><br></div><div>と、辛かったことも、笑い話に変えてほしい。</div><div><br></div><div>ぼくも、そうありたい。</div><div><br></div><div>笑えないことももちろんあるけど笑</div><div><br></div><div>だけど、不安を煽るような、ネガティブな気持ちにさせるバロメーターが生まれやすい環境が確かにある。</div><div><br></div><div>学テもそうだし、学テのための学テもそうだし、ぎゅうぎゅうのカリキュラムもそう、各地区の方針なんかもあやしい。</div><div><br></div><div>心の余裕がないとうまくいくものもうまくいかない。</div><div><br></div><div>なのに、現場に余裕がなさそう。</div><div><br></div><h4 style="text-align: left;">ぼくは、最初の年、なぜだか学級崩壊の夢を何度も見た。</h4><div><br></div><div>初めての仕事に対する、プレッシャーだろう。</div><div><br></div><div>２年目からは一度も見てない笑</div><div><br></div><div>ピンチの時もあったはずだが、そういう夢は見なくなった。</div><div><br></div><div>学校に行きたくない日も多かったと思う。</div><div><br></div><div>別に、子どもが理由というわけではない。</div><div><br></div><div>睡眠不足、ヘルペス、人見知り、・・</div><div><br></div><div>初めて働くのだ、プレッシャーは当たり前。</div><div><br></div><div>先日の本屋からは、そんな初任に対して、</div><div><br></div><div>さらに不安を煽るような文言を、いくつかの本から感じたというわけである。</div><div><br></div><div>余計、体を壊しそうだ。</div><div><br></div><div>初任の頃。</div><div><br></div><div>ぼくは、「行きたくないなぁ」と思う朝、何を考えていたか。</div><div><br></div><div>ぼくは、休み時間のことしか考えてなかった。</div><div><br></div><div>言い過ぎかもしれないが、ウソでもない笑</div><div><br></div><div>缶蹴りをやったり、ドッジボールをやったり、ふえおににドロケイ。</div><div><br></div><div>教室遊びの本もたくさんもっていた。</div><div><br></div><div>昨日なんだかうまくいかなかった、あの子を捕まえようとか、</div><div><br></div><div>連日怒ってしまったあの子を誘おうとか、</div><div><br></div><div>ドッジでは、大人ならではの速いボールをあの子に・・</div><div><br></div><div>などなど、そういう時間のことを考えて楽しい気持ちをつくっていた。</div><div><br></div><div>学年主任からは、学期の最後は遊んで帰す（そして体育館や校庭がよくあいている）、という技もいただいた。</div><div><br></div><div>長期休み明け特有の、</div><div><br></div><div>「あーまた始まる・・」</div><div><br></div><div>というちょっと重たい気持ちも、繰り返し味わう中で、</div><div><br></div><div>久々に子どもたちの顔を見るというのは、安心するんだなぁということも覚えた。</div><div><br></div><div>土日の勉強の会も、よかった。</div><div><br></div><div>人の実践報告を聞きながら自分のクラスの〇〇くんを思い出す。</div><div><br></div><div>ただそれだけなのだが、月曜日から優しく接せられる気がしたり、もっと、笑顔で過ごさなければと思わされたり。</div><div><br></div><div>ようやくのスタート。</div><div><br></div><div>今年度もいろいろな子がいることが分かった。</div><div><br></div><div>当たり前のことだけど。</div><div><br></div><div>それをちゃんと面白いと感じ、</div><div><br></div><div>焦りそうになっても（怒るのはかんたん、今度でもできると自分に言い聞かせ）</div><div><br></div><div>毎年なんとかなってきたでしょと自分に言い聞かせ、</div><div><br></div><div>一日一日、楽しんで過ごすことを大切にしたい。笑顔で。</div><div><br></div><div>そういえば、金曜の下校の時間。</div><div><br></div><div>下駄箱で「月曜日またあおーねー」と言われた。</div><div><br></div><div>ずーっと授業の時間、ティッシュを割いていた子。</div><div><br></div><div>思い出すと、また明日が楽しみになる。</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[いつもちこくの男の子]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8352537/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8352537</id><summary><![CDATA[今日は登校日だった。学級通信は難しいということで（そんなことがあるんだなぁと、静かに驚いた）（用途を聞かれ、日記の紹介だというと、ますます難しそうだった笑）なので、今年は黒板通信。分散登校なので、消えないように後ろの黒板に書く。短いメッセージとポケモン。前回は、カビゴン。今日はヒトカゲ。来週月曜は、ピカチュウ。フェイスブックで見かけるような、すごい凝ったものではない笑白チョーク一本。2度目の登校日だが、前回と違うのは半分ずつということ。前回より大人しく見えた。時間は、45分。観察カードは、列の後ろの子が回収し、ぼくがハンコを押し終わるのを待っていてもらった。そのまま、その列の友だちに返却してもらうため。配布物は4種類。10種類くらいたまっているが、これでは、何がなんだか分からないというのとで、４種が厳選された。それが終われば、今年度初連絡帳。人生初の低学年。かなりゆっくり丁寧に確かめた。来たばかりなのに、もう帰りの準備。その間に、子どもたちの道具箱を見ると、四つのことを発見。一つは、つくえにしまった連絡帳。あぶないあぶない、お家に持って帰ってね。二つ目は、健康カードの発見（忘れました！と言いに来て、教室の体温計で体温チェックした子のカード）三つ目は、しゅくだい（忘れました！何も持ってきてませんと言いに来た子のしゅくだい）四つ目は、列の後ろの子に配るはずの手紙。一人四枚のはずの手紙だけど、その子は10枚持って帰るところだった笑あぶないあぶない。これが、小学校の教室で、日常が戻ってきたことを少し実感でき、嬉しく思った。読み聞かせの際の、「密集」を注意されていたので、iPadでページを写し、Apple TVで、テレビ画面に移した。Air play。無線での表示である。すごく便利！こんなに便利なら、どの学校でも揃えてほしい。（今の学校も台数は限られているけど）iPadも学校のもの。これは、使いまくる予感。簡単！今日の読み聞かせは、「いつもちこくのおとこのこ-ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー-」（ジョン・バーニンガム）（表示の写真がないので、表紙はまた後日）ちょっと笑えるものをと思ったが、よく考えたら、怖かったかもしれない笑先生は大きい。驚愕の大きさ。罰もある。その罰が嫌な感じなのだ。信じてもらえない主人公と、大人の理不尽な様子の関係に、多かれ少なかれ心を重ねることと思う。ページが進むにつれ、主人公に心を寄せていく。そのラスト、先生がゴリラに捕まるのは子どもたちにとって、とても痛快だろう。毎年この本も教室で読む。そして後日、ちこくする子に決まっていう。「ワニにあったんだって！大丈夫だったかい？それともライオン？大変だったね！」教室がにぎやかになる。みんなが笑えば、その子も笑い、遅刻してしまった子の気持ちもきっと軽くなるだろう。AirPlayは便利だけど、やっぱぎゅっとなって読んだ方がきっと楽しいだろう。早くそうなるといいなぁ。kenshi]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-05-29T09:49:31+00:00</published><updated>2020-05-29T10:29:50+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>今日は登校日だった。</div><div><br></div><div>学級通信は難しいということで（そんなことがあるんだなぁと、静かに驚いた）</div><div><br></div><div>（用途を聞かれ、日記の紹介だというと、ますます難しそうだった笑）</div><div><br></div><div>なので、今年は黒板通信。</div><div><br></div><div>分散登校なので、消えないように後ろの黒板に書く。</div><div><br></div><div>短いメッセージとポケモン。</div><div><br></div><div>前回は、カビゴン。</div><div><br></div><div>今日はヒトカゲ。</div><div><br></div><div>来週月曜は、ピカチュウ。</div><div><br></div><div>フェイスブックで見かけるような、すごい凝ったものではない笑</div><div><br></div><div>白チョーク一本。</div><div><br></div><div>2度目の登校日だが、前回と違うのは半分ずつということ。</div><div><br></div><div>前回より大人しく見えた。</div><div><br></div><div>時間は、45分。</div><div><br></div><div>観察カードは、列の後ろの子が回収し、ぼくがハンコを押し終わるのを待っていてもらった。</div><div><br></div><div>そのまま、その列の友だちに返却してもらうため。</div><div><br></div><div>配布物は4種類。</div><div><br></div><div>10種類くらいたまっているが、これでは、何がなんだか分からないというのとで、４種が厳選された。</div><div><br></div><div>それが終われば、今年度初連絡帳。</div><div><br></div><div>人生初の低学年。</div><div><br></div><div>かなりゆっくり丁寧に確かめた。</div><div><br></div><div>来たばかりなのに、もう帰りの準備。</div><div><br></div><div>その間に、子どもたちの道具箱を見ると、四つのことを発見。</div><div><br></div><div>一つは、つくえにしまった連絡帳。</div><div><br></div><div>あぶないあぶない、お家に持って帰ってね。</div><div><br></div><div>二つ目は、健康カードの発見（忘れました！と言いに来て、教室の体温計で体温チェックした子のカード）</div><div><br></div><div>三つ目は、しゅくだい（忘れました！何も持ってきてませんと言いに来た子のしゅくだい）</div><div><br></div><div>四つ目は、列の後ろの子に配るはずの手紙。</div><div><br></div><div>一人四枚のはずの手紙だけど、その子は10枚持って帰るところだった笑</div><div><br></div><div>あぶないあぶない。</div><div><br></div><div>これが、小学校の教室で、日常が戻ってきたことを少し実感でき、嬉しく思った。</div><div><br></div><div>読み聞かせの際の、「密集」を注意されていたので、iPadでページを写し、</div><div><br></div><div>Apple TVで、テレビ画面に移した。</div><div><br></div><div>Air play。無線での表示である。</div><div><br></div><div>すごく便利！</div><div><br></div><div>こんなに便利なら、どの学校でも揃えてほしい。（今の学校も台数は限られているけど）</div><div><br></div><div>iPadも学校のもの。</div><div><br></div><div>これは、使いまくる予感。簡単！</div><div><br></div><div>今日の読み聞かせは、</div><div><br></div><div>「いつもちこくのおとこのこ-ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー-」（ジョン・バーニンガム）</div><div><br></div><div>（表示の写真がないので、表紙はまた後日）</div><div><br></div><div>ちょっと笑えるものをと思ったが、よく考えたら、怖かったかもしれない笑</div><div><br></div><div>先生は大きい。驚愕の大きさ。</div><div><br></div><div>罰もある。</div><div><br></div><div>その罰が嫌な感じなのだ。</div><div><br></div><div>信じてもらえない主人公と、大人の理不尽な様子の関係に、多かれ少なかれ心を重ねることと思う。</div><div><br></div><div>ページが進むにつれ、主人公に心を寄せていく。</div><div><br></div><div>そのラスト、先生がゴリラに捕まるのは子どもたちにとって、とても痛快だろう。</div><div><br></div><div>毎年この本も教室で読む。</div><div><br></div><div>そして後日、ちこくする子に決まっていう。</div><div><br></div><div>「ワニにあったんだって！大丈夫だったかい？それともライオン？大変だったね！」</div><div><br></div><div>教室がにぎやかになる。</div><div><br></div><div>みんなが笑えば、その子も笑い、</div><div><br></div><div>遅刻してしまった子の気持ちもきっと軽くなるだろう。</div><div><br></div><div>AirPlayは便利だけど、やっぱぎゅっとなって読んだ方がきっと楽しいだろう。</div><div><br></div><div>早くそうなるといいなぁ。</div><div><br></div><div>kenshi</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[インターネット、誹謗中傷]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8328919/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8328919</id><summary><![CDATA[今朝5時に起きて、いたたまれなくなるニュース記事を見た。それは「木村花さんの死去」についてのニュース。誹謗中傷の内容は、記事の中のものしか把握していないけど、たくさんの心ない言葉が浴びせられたことを想像できる。そういう言葉が、心を蝕み、死を選んでいったということを思うと本当に辛い。あの、心ない言葉を浴びせる際の（よく炎上と言われるものだとおもうけど）結託感のようなものはなんなのか、どんな人が、どんな所で、何を思って（多くの誹謗中傷は、叩くことを面白がっているようにしか感じない）文字を打ってるのか理解に苦しむ。うっぷん晴らしや八つ当たりに近いのか・・]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-05-25T14:55:54+00:00</published><updated>2020-05-29T10:30:58+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://toyokeizai.net/articles/amp/352419?display=b&amp_event=read-body">
			<img src="https://toyokeizai.net/mwimgs/9/d/-/img_9db89799339e3bc8c46c0fb2791b7a6e562224.jpg" width="100%">
			<small><b>木村花さんを追い詰めた｢匿名卑怯者｣の深い罪 | インターネット</b></small>
			<br>
			<small>5月23日未明、Twitterのタイムラインが騒がしくなっていた。恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演していたプロレスラー・木村花さんの様子がおかしいという話題だったが、その時点では詳細はわからなかった…</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.bbc.com/japanese/52787007?SThisFB">
			<img src="https://ichef.bbci.co.uk/news/1024/branded_japanese/C244/production/_112423794_kimura.jpg" width="100%">
			<small><b>女子プロレスラーの木村花選手、22歳で死去　SNSで中傷されていたと示唆</b></small>
			<br>
			<small>木村さんは亡くなる直前、インターネットで誹謗中傷を受けていたことを示唆する気がかりな内容を自身のソーシャルメディアアカウントに投稿していた。</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20200524-00179998/">
			<img src="https://rpr.c.yimg.jp/amd/20200524-00179998-roupeiro-000-11-view.png" width="100%">
			<small><b>木村花さんの死が問いかける、ネット上の誹謗中傷の罪とプラットフォームの責任（伊藤和子） - Yahoo!ニュース</b></small>
			<br>
			<small>木村花さんはネット上の誹謗中傷に晒されていた。著名人であってもSNSの言葉の暴力に耐性を求めるのは酷だ。言葉の暴力は凶器のように心に突き刺さり人を追い詰める。表現者とプラットフォームの責任が問われる。</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<div>今朝5時に起きて、いたたまれなくなるニュース記事を見た。</div><div><br></div><div>それは「木村花さんの死去」についてのニュース。</div><div><br></div><div>誹謗中傷の内容は、記事の中のものしか把握していないけど、</div><div><br></div><div>たくさんの心ない言葉が浴びせられたことを想像できる。</div><div><br></div><div>そういう言葉が、心を蝕み、死を選んでいったということを思うと本当に辛い。</div><div><br></div><div>あの、心ない言葉を浴びせる際の（よく炎上と言われるものだとおもうけど）結託感のようなものはなんなのか、</div><div><br></div><div>どんな人が、どんな所で、何を思って（多くの誹謗中傷は、叩くことを面白がっているようにしか感じない）文字を打ってるのか</div><div><br></div><div>理解に苦しむ。</div><div><br></div><div>うっぷん晴らしや八つ当たりに近いのか・・</div><div><br></div><div><br></div>
		</div>
	
		<div>
			<div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">先日も似たような気持ちになった。</span><br></div><div><br></div><div>それは、コロナの感染に関する「晒し」である。</div><div><br></div><div>検索ワードで、推測されるたのである。</div><div><br></div><div>ある都道府県の感染者の本名が。</div><div><br></div><div>顔や番号や住所、それに近いもの、ほんとか嘘かわからない経歴みたいなものまでが、</div><div><br></div><div>なんとネットにあげられていた！！</div><div><br></div><div>本当にびっくりした。その時も、そういう情報を、あげた人の気持ちが理解できず、苦しかった。</div><div><br></div><div>なんで？なんのメリットがあるの？</div><div><br></div><div>誹謗中傷や「晒し」に向かう、この強力な、ねじ曲がった、エネルギーはどこから湧くのだろうか。</div><div><br></div><div>（意味がわからない）</div><div><br></div><div>名前が伏せられるから、どんなに恐ろしいことでも、言いたい放題言えちゃうだ、</div><div><br></div><div>とか、そういう言葉を浴びせて誰かの心が折れるのが気持ちいいんだとか、</div><div><br></div><div>ねじ曲がった無責任なエネルギーについて、</div><div><br></div><div>誹謗中傷する側の快感について、</div><div><br></div><div>いろいろ考えてみたけど、</div><div><br></div><div>やっぱり理解に苦しむ。</div><div><br></div><div>とにかく悲しい。</div><div><br></div><div>深く深く、病んでるとしか思えない。</div><div><br></div><div>kenshi</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[学校再会を待ちながら]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8254057/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/443425/9b7fd4ebcc5d8ac81c5575dac1c804c0_96df7688b76efdaee722dca0caa76d1e.jpg"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8254057</id><summary><![CDATA[昨年度の勤務地でも、三月に休校の日が何日間かあった。卒業式、終業式も行うことができたし、その何週間か前から、学校は再開した。ただ、突然の休校となった三月のあたま。いつまた休校になるのかはわからない状態での三月中旬。関わることができる時間は、目に見える少なさで、その限られた時間、何をするのがベストかと考えたとき、本の紹介（絵本の読み聞かせ）を毎日入れたいというような気持ちが湧いた。こういう気持ちになることは、昨年度に限らず、今までもよくあった。そして、今年度の始業式翌日は、今年度初めてにして、今日までまたとない、教室集合の日となった。それ以降は、図書の貸し出しと課題の配布。みんなで一緒に集まったのはやはりこの日だけだ。まだお会いできていない子もいる。その始業式翌日の登校も、もち時間が限られるものだった。長くて三十分。推奨は十分。課題とお手紙の配布があった。だけど、そこにどうしても、せっかく集まったこの日に、一冊でも絵本を読みたいという想いがあった。配布物を短時間で終わらせ、読み聞かせをかなえた。「本当は、前でぎゅっとなって、読みたいけど、コロナウイルスのことがあるから今日は自分の席で聞いてね」と説明してから読み始めた。読んだ本は]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-05-12T15:08:13+00:00</published><updated>2020-05-13T16:16:06+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>昨年度の勤務地でも、三月に休校の日が何日間かあった。</div><div><br></div><div>卒業式、終業式も行うことができたし、その何週間か前から、学校は再開した。</div><div><br></div><div>ただ、突然の休校となった三月のあたま。</div><div><br></div><div>いつまた休校になるのかはわからない状態での三月中旬。</div><div><br></div><div>関わることができる時間は、目に見える少なさで、</div><div><br></div><div>その限られた時間、何をするのがベストかと考えたとき、</div><div><br></div><div>本の紹介（絵本の読み聞かせ）を毎日入れたいというような気持ちが湧いた。</div><div><br></div><div>こういう気持ちになることは、昨年度に限らず、今までもよくあった。</div><div><br></div><div>そして、今年度の始業式翌日は、</div><div><br></div><div>今年度初めてにして、今日までまたとない、</div><div><br></div><div>教室集合の日となった。</div><div><br></div><div>それ以降は、図書の貸し出しと課題の配布。</div><div><br></div><div>みんなで一緒に集まったのはやはりこの日だけだ。</div><div><br></div><div>まだお会いできていない子もいる。</div><div><br></div><div>その始業式翌日の登校も、もち時間が限られるものだった。</div><div><br></div><div>長くて三十分。推奨は十分。</div><div><br></div><div>課題とお手紙の配布があった。</div><div><br></div><div>だけど、そこにどうしても、</div><div><br></div><div>せっかく集まったこの日に、</div><div><br></div><div>一冊でも絵本を読みたいという想いがあった。</div><div><br></div><div>配布物を短時間で終わらせ、</div><div><br></div><div>読み聞かせをかなえた。</div><div><br></div><div>「本当は、前でぎゅっとなって、読みたいけど、コロナウイルスのことがあるから今日は自分の席で聞いてね」</div><div><br></div><div>と説明してから読み始めた。</div><div><br></div><div>読んだ本は</div>
		</div>
	
		<div>
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		</div>
		

		<div>
			<div></div><div>「となりのせきのますだくん」</div><div><br></div><div>いつの年もだいたい、ぼくの話を聞かず（聞いてるからこそ激しく反応しているのかもしれないけど）、思いつくままに喋る男の子がいた。</div><div><br></div><div>そういう子が、読み聞かせが始まった際に見せる、</div><div><br></div><div>突然の切り替えや絵本にアテンションを注ぐ姿というのは、とても感慨深い。</div><div><br></div><div>そして子どもたちは、絵本が進む中で起こる小さな変化や細かいサインを見逃さない。</div><div><br></div><div>みんなで、ますだくんを読んだという事実が生まれたことに大きな意義を感じる。</div><div><br></div><div>とくに深い理由はないのだが（わかりやすい、面白い、というくらいの理由はある）</div><div><br></div><div>だいたい読み聞かせ第一号はこの絵本になる。</div><div><br></div><div>最後、怪獣だったはずの男の子が、人間になっているところで、</div><div><br></div><div>「えー！」という声が上がる。</div><div><br></div><div>今年度、本来なら4月当初に読むはずの本は、</div><div><br></div><div>学校再会を待っている状態になった。</div><div></div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>「教室はまちがうところだ」</div><div><br></div><div>勉強にはまちがいが必要だ！</div><div><br></div><div>みんなで楽しい授業をつくろう！</div><div><br></div><div>そういうことを明るく伝えたい。</div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>「とこやにいったライオン」は、</div><div><br></div><div>大人になって読んだとき、昔読んでもらった記憶が蘇った。</div><div><br></div><div>うちの子も大好き。</div><div><br></div><div>ぼくは高学年担任のときでも読んでいる。</div><div><br></div><div>「床屋さんが、ペンキで失敗をごまかす」</div><div>笑いどころで、</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div>「そうきたかぁ！」というツッコミが聞けた。<br></div><div><br></div><div>六年生女子の声だがとても楽しそうだった。</div><div><br></div><div>もしかしたら「うわぁ、ばかダァ」なんて声も出る（そんなこともあったような無かったような）かもしれないが、</div><div><br></div><div>読み聞かせのときはご愛嬌。</div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>「世界で一番やかましい音」出だしから面白い話がわんさか出てくる。</div><div><br></div><div>子どもたちはニコニコしながら「えー！」「えー！」とにぎやかに反応するかもしれない。</div><div><br></div><div>そこからのラスト。</div><div><br></div><div>王子様が気づいた美しさに、共感が生まれるような、絵本だ。</div><div><br></div><div><br></div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div><br></div><div>「じがかけなかったライオンのおうさま」や「サーカスのライオン」など、あんまりライオンの本ばかり続くので、</div><div><br></div><div>「ライオンが好きなんですか？」と副担任のせんせいに言われたことがある笑</div><div><br></div><div>偶然。</div><div><br></div><div style="text-align: left;">「としょかんライオン」は、決まりありきって変だよね？っていうことが、面白おかしく伝わってくる。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">静かにしなくちゃとなる本なのだが、笑いがこみ上げ、がまんできずに笑い声になる。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">これはぜひ、図書室で読みたい。</div>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<div>板倉さん「足はなんぼん？」は、3年生の4月か5月に必ず入れたい。</div><div><br></div><div>「えー？？そりゃないでしょ！」</div><div>「そりゃへんでしょ！」</div><div>おかしな足の数を見つけては、こういう突っ込みでにぎやかになる。</div><div><br></div><div>理科に対してわくわくどきどきの三年生。楽しさが一気に膨らむ。</div>
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		</div>
		

		<div>
			<div>今年も「白川静」カレンダー。</div><div><br></div><div>今の時期の我が子をみていると、</div><div><br></div><div>ひらがなやカタカナを覚えたり、</div><div><br></div><div>運動やその他、新しいことを身につけたり。</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">そのプロセスが、見ていてとても勉強になる。</span><br></div><div><br></div><div>読んでみたい、知りたい、飼ってみたい、やってみたい。</div><div><br></div><div>そういう姿を見て、</div><div><br></div><div>（二歳の妹は、二つ上の兄を見て、絵本を読む真似をしたりする姿もそう。不思議な音を出しながらページをめくっている感じ）</div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">文化文明への関心が子どもには備わっているんだなぁと思い、</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div>なんだか胸が熱くなる感じがする。<br></div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">これは一体なんだ？？？</span><br></div><div>なんていう漢字なんだ？？？</div><div><br></div><div>こんな興味が湧いてこなければ、</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">面白がって漢字に取り組むなんてできない。</span><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div>これは何？これはなんていうの？なんで？</div><div><br></div><div>こういう疑問こそが、主体的な学びを生み出すと考え、大切にふれていきたい。</div><div><br></div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">さて、今年度を楽しむ準備は、</span><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">もう十分できている。</span></div><div><br></div><div>kenshi</div><div><br></div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[5月31日まで休校、7日間チャレンジについて]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8247174/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/8247174</id><summary><![CDATA[新型コロナの中、思ったことはたくさんあった。一番、考えたいことは、緊急的なことは起こるということを前提にしなくちゃということ。今までだって、震災もあったし、台風による長い停電もあった。今回のコロナは、全国的な影響を与えた。どう考えても、その緊急性に対応するためには、通常運転時からの詰め過ぎをなんとかしないといけない。土曜を使ったり、モジュールを組んだり、夏休みを削ったり。これでは、通常運転時からパンパン。プールに入った低学年は、お昼寝したくて当たり前なのだ。いや必要な子だっているだろう。そして、このパンパンの原因が、学習内容（学びの本質的なところ）ではなく、時数の確保の対応というところが「？」。明らかに取り違えが起きている。今、色々なところで行われている時間割型の課題もそうだ。今年度、いくつかの区市町村で方針が出た。「〇〇としては、今までは既習事項の復習になる課題を推奨してきたが、5月以降は新学年での学習内容を課題に含めることで、その学習を修了したとみなすこと及び、課題の提出方法次第では成績の作成の際の参考資料とすることを可とする」このような旨の通知があった。（表現の仕方は、市区町村によって異なっているのと、申し訳ないのですが忘れ残りで書いている部分があります）思考、判断、表現、や学びに向かう力なんていってられないくらい、教科数、領域数、単元、それに伴う修得しなきゃいけない知識がパンパンなのだ。これは、緊急時に対応することは不可能なくらいパンパンだといっているような通知である。そして、ここから、一番子どもたちにとって恐ろしいのは補填である。土曜日や、7時間目、そういう無理が生じていたら、一体誰のための、何？という話になる。子どもたちにとって無理のないような、スモールステップを踏んで、みんなで学ぶ楽しさを取り戻していきたい。要は、通常運転時から余白が必要だという話。この「ステイホーム」期間で、たくさんの人の7日間チャレンジを読んだ。これから読みたいものもできたし、あー、それ読んだなぁとか、当時のことを色々思い出したりした。ぼくは、小学生の頃、図書の時間にエジソンやファーブル昆虫記やシートン動物記をよく手にした。しかし、それはほとんど読んだフリで終わる。ちゃんとエジソンを読み切ったのは、たぶん中学生になって。ぼくが、本当に読書をしたのは、「ハリーポッター」からである。多分、賢者の石が六年生のとき。「秘密の部屋」は翌年。クリスマスに合わせて買ってもらった。こんなに本は面白いのかとびっくりした。先が気になるが、日本版は発売されていないので、２周目、３周目とたくさん読んだ。そして、年末は夜遅くまで、ストーブの前で読むのがとても楽しかった。4巻目「炎のゴブレット」は、中学三年生のとき。受験を控えていた（ちなみに謎のプリンスは大学受験を控えている中ちゃんと読み切ったのを覚えている）が何ヶ月も前から予約して、発売日に半分、次の日半分読んだ。塾があるからと、学校にいる間もかなり読み進めたのを覚えている。高校に入ると、定期テストの際、テスト期間に入る度にハリーポッターシリーズをまずは読み切るというルーティンをつくった。アズカバンまではなんとかなったが、「炎のゴブレット」と「不死鳥の騎士団」は上下巻なので、テスト期間を3日も費やすので辛かった。（因みに「不死鳥の騎士団」は高校生のときだったが、翌日に体育祭？？のリハが控えていた。けど、購入日に朝まで止まらず、無睡で学校に行った。そして、選抜リレーの練習で本当に吐きそうになったのを覚えている）あとは、ハッピーエンドの気持ちで終わらすための、3巻目（アズカバン）止めという方法も独自で編み出した。何回読んだのだろうか、もうハリーポッターの回転数を超える本が来るとは思えないし（時期的にも時間的にも）、多分この頃は、ハリーポッターしか受け付けなかった。働き始めてからは、村上春樹さんや、上橋菜穂子さん。上橋菜穂子さんの鹿の王は、ハリーポッターのとき以来の、世界観にハマる感じがあった。先が気になって、眠れなかった（眠らなかった）。高校のとき、大学入試の模試で、いくつかの小説に出会った。問題の中で。国語の物語文は、200点中の50点だし、ゆっくり読んでいる訳にはいかないのだが、ぼくは、時間を諦めて読んだことが何回かある。その中ですごく面白さそうだと思った物語は3つあって、それは、「ノルウェイの森」（村上春樹）「800」（川島誠）「星々の舟」（村山由佳）だった。哲学的なところが面白いと思ったり、人物同士の会話が面白かったり、前後が気になったり。その日の帰りだったか、何日か後だったかに、本屋で探し、ちゃんと読み切った。。（高校生のとき、村上春樹は、「風の歌を訊け」など「ノルウェイの森」以前のものにもトライしたが読み切れなかった。その後、新作はずっと読んでいて、「風の歌を訊け」などは働き始めてからちゃんと読んだ）教材ついでに話すと、ぼくはカンボジアの「クメールルージュ」についてちゃんと知ったのが、英語の教材文だったりする。当時の世界史の先生に怒られそうだけど。今でもよく覚えている。最後に話す本は、「おいしいコーヒーの入れ方」（村山由佳）高校二年生の時にはまった恋愛小説。部活動の仲間数人で、はまった。これも、新作が出ない間、何回転もした数少ない本（シリーズ）（完結したと思うが、最後の巻まで読んでいない）「おいしいコーヒーの入れ方」というタイトルがまたいい。仲間と本について語り合っても、周りは恋愛小説だと気付かない。今だから言うが、かなり先が気になって、当時内職した。一番印象的なのは、クラスの友達（悪いことも一緒にした）が朝読書の本を忘れたということで、かしてほしいと頼みにきた。その日の、ぼくの手持ちは、「おいしいコーヒーの入れ方」シリーズだけ。「面白いかわかんないよ」と伝えたが、「人生で一冊も本を読みきったことないから、なんでもいい」とその友達は言った。だけど、彼ははまってしまったのだ。一冊読み切ると、「二巻目が読みたい」とその先を借りにきた。授業中、先生が近くにいることにも気付かないくらい集中していた。彼のせいで一時的に没収されてしまったが、自分が面白いと思った本を、面白いと思ってもらえるのはいいなぁと当時思った。人のことをぺらぺら喋るのはよくないが、今更だから。宮崎亮馬も、内職していたのを覚えている。国語の時間。その本は「パイロットフィッシュ」というタイトルだった。思い出したので、探してみよかなぁ。たくさんの人の7日間チャレンジを通して、そういうことを、思い出した。こんなに書くつもりはなかったけど笑kenshi]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-05-11T15:33:17+00:00</published><updated>2020-05-12T09:13:51+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>新型コロナの中、思ったことはたくさんあった。</div><div><br></div><div>一番、考えたいことは、緊急的なことは起こるということを前提にしなくちゃということ。</div><div><br></div><div>今までだって、震災もあったし、台風による長い停電もあった。</div><div><br></div><div>今回のコロナは、全国的な影響を与えた。</div><div><br></div><div>どう考えても、その緊急性に対応するためには、通常運転時からの詰め過ぎをなんとかしないといけない。</div><div><br></div><div>土曜を使ったり、モジュールを組んだり、夏休みを削ったり。</div><div><br></div><div>これでは、通常運転時からパンパン。</div><div><br></div><div>プールに入った低学年は、お昼寝したくて当たり前なのだ。いや必要な子だっているだろう。</div><div><br></div><div>そして、このパンパンの原因が、学習内容（学びの本質的なところ）ではなく、時数の確保の対応というところが「？」。</div><div><br></div><div>明らかに取り違えが起きている。</div><div><br></div><div>今、色々なところで行われている時間割型の課題もそうだ。</div><div><br></div><div>今年度、いくつかの区市町村で方針が出た。</div><div><br></div><div>「〇〇としては、今までは既習事項の復習になる課題を推奨してきたが、5月以降は新学年での学習内容を課題に含めることで、その学習を修了したとみなすこと及び、課題の提出方法次第では成績の作成の際の参考資料とすることを可とする」このような旨の通知があった。</div><div><br></div><div>（表現の仕方は、市区町村によって異なっているのと、申し訳ないのですが忘れ残りで書いている部分があります）</div><div><br></div><div>思考、判断、表現、や学びに向かう力なんていってられないくらい、</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">教科数、領域数、単元、それに伴う修得しなきゃいけない知識がパンパンなのだ。</span><br></div><div><br></div><div>これは、緊急時に対応することは不可能なくらいパンパンだといっているような通知である。</div><div><br></div><div>そして、ここから、一番子どもたちにとって恐ろしいのは補填である。</div><div><br></div><div>土曜日や、7時間目、そういう無理が生じていたら、一体誰のための、何？</div><div><br></div><div>という話になる。</div><div><br></div><div>子どもたちにとって無理のないような、スモールステップを踏んで、</div><div><br></div><div>みんなで学ぶ楽しさを取り戻していきたい。</div><div><br></div><div>要は、通常運転時から余白が必要だという話。</div><div><br></div><blockquote>この「ステイホーム」期間で、たくさんの人の7日間チャレンジを読んだ。<br></blockquote><div><br></div><div>これから読みたいものもできたし、</div><div><br></div><div>あー、それ読んだなぁとか、当時のことを色々思い出したりした。</div><div><br></div><div>ぼくは、小学生の頃、図書の時間にエジソンやファーブル昆虫記やシートン動物記をよく手にした。</div><div><br></div><div>しかし、それはほとんど読んだフリで終わる。</div><div><br></div><div>ちゃんとエジソンを読み切ったのは、たぶん中学生になって。</div><div><br></div><div>ぼくが、本当に読書をしたのは、「ハリーポッター」からである。</div><div><br></div><div>多分、賢者の石が六年生のとき。「秘密の部屋」は翌年。</div><div><br></div><div>クリスマスに合わせて買ってもらった。</div><div><br></div><div>こんなに本は面白いのかとびっくりした。</div><div><br></div><div>先が気になるが、日本版は発売されていないので、２周目、３周目とたくさん読んだ。</div><div><br></div><div>そして、年末は夜遅くまで、ストーブの前で読むのがとても楽しかった。</div><div><br></div><div>4巻目「炎のゴブレット」は、中学三年生のとき。受験を控えていた（ちなみに謎のプリンスは大学受験を控えている中ちゃんと読み切ったのを覚えている）が何ヶ月も前から予約して、発売日に半分、次の日半分読んだ。塾があるからと、学校にいる間もかなり読み進めたのを覚えている。</div><div><br></div><div>高校に入ると、定期テストの際、テスト期間に入る度にハリーポッターシリーズをまずは読み切るというルーティンをつくった。</div><div><br></div><div>アズカバンまではなんとかなったが、「炎のゴブレット」と「不死鳥の騎士団」は上下巻なので、テスト期間を3日も費やすので辛かった。</div><div><br></div><div>（因みに「不死鳥の騎士団」は高校生のときだったが、翌日に体育祭？？のリハが控えていた。</div><div>けど、購入日に朝まで止まらず、無睡で学校に行った。そして、選抜リレーの練習で本当に吐きそうになったのを覚えている）</div><div><br></div><div>あとは、ハッピーエンドの気持ちで終わらすための、3巻目（アズカバン）止めという方法も独自で編み出した。</div><div><br></div><div>何回読んだのだろうか、もうハリーポッターの回転数を超える本が来るとは思えないし（時期的にも時間的にも）、多分この頃は、ハリーポッターしか受け付けなかった。</div><div><br></div><div>働き始めてからは、村上春樹さんや、上橋菜穂子さん。</div><div><br></div><div>上橋菜穂子さんの鹿の王は、ハリーポッターのとき以来の、世界観にハマる感じがあった。先が気になって、眠れなかった（眠らなかった）。</div><div><br></div><div>高校のとき、大学入試の模試で、いくつかの小説に出会った。問題の中で。</div><div><br></div><div>国語の物語文は、200点中の50点だし、ゆっくり読んでいる訳にはいかないのだが、ぼくは、時間を諦めて読んだことが何回かある。</div><div><br></div><div>その中ですごく面白さそうだと思った物語は3つあって、</div><div><br></div><div>それは、「ノルウェイの森」（村上春樹）「800」（川島誠）「星々の舟」（村山由佳）だった。</div><div><br></div><div>哲学的なところが面白いと思ったり、人物同士の会話が面白かったり、前後が気になったり。</div><div><br></div><div>その日の帰りだったか、何日か後だったかに、本屋で探し、ちゃんと読み切った。。</div><div><br></div><div>（高校生のとき、村上春樹は、「風の歌を訊け」など「ノルウェイの森」以前のものにもトライしたが読み切れなかった。その後、新作はずっと読んでいて、「風の歌を訊け」などは働き始めてからちゃんと読んだ）</div><div><br></div><div>教材ついでに話すと、ぼくはカンボジアの「クメールルージュ」についてちゃんと知ったのが、英語の教材文だったりする。</div><div><br></div><div>当時の世界史の先生に怒られそうだけど。</div><div><br></div><div>今でもよく覚えている。</div><div><br></div><div>最後に話す本は、「おいしいコーヒーの入れ方」（村山由佳）</div><div><br></div><div>高校二年生の時にはまった恋愛小説。</div><div><br></div><div>部活動の仲間数人で、はまった。</div><div><br></div><div>これも、新作が出ない間、何回転もした数少ない本（シリーズ）（完結したと思うが、最後の巻まで読んでいない）</div><div><br></div><div>「おいしいコーヒーの入れ方」というタイトルがまたいい。</div><div><br></div><div>仲間と本について語り合っても、周りは恋愛小説だと気付かない。</div><div><br></div><div>今だから言うが、かなり先が気になって、当時内職した。</div><div><br></div><div>一番印象的なのは、クラスの友達（悪いことも一緒にした）が朝読書の本を忘れたということで、かしてほしいと頼みにきた。</div><div><br></div><div>その日の、ぼくの手持ちは、「おいしいコーヒーの入れ方」シリーズだけ。</div><div><br></div><div>「面白いかわかんないよ」と伝えたが、</div><div><br></div><div>「人生で一冊も本を読みきったことないから、なんでもいい」とその友達は言った。</div><div><br></div><div>だけど、彼ははまってしまったのだ。</div><div><br></div><div>一冊読み切ると、「二巻目が読みたい」とその先を借りにきた。</div><div><br></div><div>授業中、先生が近くにいることにも気付かないくらい集中していた。</div><div><br></div><div>彼のせいで一時的に没収されてしまったが、自分が面白いと思った本を、面白いと思ってもらえるのはいいなぁと当時思った。</div><div><br></div><div>人のことをぺらぺら喋るのはよくないが、</div><div>今更だから。</div><div><br></div><div>宮崎亮馬も、内職していたのを覚えている。</div><div><br></div><div>国語の時間。</div><div><br></div><div>その本は「パイロットフィッシュ」というタイトルだった。</div><div><br></div><div>思い出したので、探してみよかなぁ。</div><div><br></div><div>たくさんの人の7日間チャレンジを通して、そういうことを、思い出した。</div><div><br></div><div>こんなに書くつもりはなかったけど笑</div><div><br></div><div>kenshi</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[金森俊朗さんの言葉を考える]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7935518/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7935518</id><summary><![CDATA[3月2日、金森俊朗さんが亡くなられた。そのことを初めに教えてくれたのは、宮崎亮馬だった。金森さんのことを知ったのも、宮崎亮馬に教えてもらったからだ。自分が、教員２年目のときに、宮崎亮馬が1ヶ月くらい転がり込んできたことがあって、そこで教えてもらった。金森さんのこと、金森さんの実践のこと。折に触れ、金森さんの実践を思い出したり、探したりもした。記事が手元にないので、三二さんのブログを拝借。ぼくは、ここにある金森さんの記事、とりわけ、『子どもが本来持っている「原始性」を臆せず解き放て』が心に残り、1週間くらい考えている。自分のことぼくが研究授業の指導講評で言われた言葉を思い出す。「解放はできているが規律ができていない」しかも違う講師に、違う授業で言われた。つまり、2回言われたことがあるのだ。明日から何かの役に立てばと思い、しつこく聞いた。「具体的にはどういうことですか？」と。1人の指導主事は、指名の際の返事だと言い、もう1人の講師は、立って発言することだと言った。さて、話がそれる前にずばり言うが、「規律は山のようにあるけど解放はない」そういう学校ばかりじゃないか！？と、ちょっと思った。解放とはなんだろうということも改めて考えた。「規律は山のようにあるけど解放はない」こんな学校で何が起こるのかということを更に考える。まず、子どもは学校を「こうるさい場所」「厳しい場所」と思うだろう。例えば、集会や全校朝会で。体育館は静かに。静かに入って静かに待つ。声を出せば、注意される。さらに、5分前行動を強いられている場合は地獄だ。5分間、声を出さないように頑張るのだ。座り方も決められている。縦横合わせられる。廊下から並んで来る。廊下も静かに。廊下の歩き方も静かに。今書いたのは。学校の朝の一場面である。これだけで、長くしんどく、息の詰まるような時間に感じる。これで何が起きるのか。素直に声を出せなくなるだろう。声だけじゃない、反応もそうだ。自然に考えれば、人がある音楽やあるパフォーマンスを見て、「すごい！」と感じたとき。心から、わーってなる。拍手ーーって感じになる。それが、朝会も始まっていないような場で、声を出すことが咎められるような学校なら、声を出していいのかな？反応していいのかな？拍手していいのかな？子どもたちの素直な言葉や反応は日に日に消える。こんなことを子どもに思わせていては、だめだ。『子どもが本来持っている「原始性」を臆せず解き放て』この言葉からは、子どものダイナミックなエネルギーと、その尊さ、それを引き出す大切さを感じた。学級単位の話でなく、学校全体が、子どもが素直に気持ちを解放できる場にできるといい。金森さんの言葉を受け、もっと自信をもって、堂々と子どもたちを「解放」しよう自分！と思った。というのが一番考えたこと。「解放」ついでに、もう一つ。４歳の長男が平仮名に興味をもち、読めるようになった。ぼくは、これまで「ひらがなも時計も小学校に入る前に覚えちゃったら、やることなくなるよ」派だった。それについては今も変わらない。その子が興味をもっているのなら魚を覚えたることや、むしろポケモンを覚えることの方が、大切なんじゃないかと考えていた。長男は平仮名を読めるようになったことを楽しんでいる。平仮名もどう習得したのかというと、「これなんて読むの？」って聞いて、「それは　な　だよ」と言っていた具合である。濁点をマスターするのは、遠いのかと思ったが。1日2日で習得したからびっくりした。それだって「これなんて読むの？」と妻に聞くことを、繰り返して覚えたようだ。そして以前から家にあった五味太郎さんの本などを手にとって声に出している。字が読める前からも、本を声に出して読んでいた。得意なのは「かお　かお　どんなかお」（柳原　良平さん）　だった。これは絵と音をマッチして読んでいた様子で、「すましたかお」などの難しそうなところも読めていて感心した。「読む」という、物語（イメージ）を取り込むという作業には、文字以前の、絵とか音とか、そういうものも関係しているということを改めて感じた。そんな中でも、読みたいと思う本に出会ったということに、大きな意義を感じた。平仮名も同じだ。読んでみたいと知りたいと思える平仮名に出会えたことがいい。最初は、も　とか　し　とかだった。学校の話に戻る。ぼくが言いたいことは、「解放」の先にこういう「出会い」があるんじゃないかということである。漢字にせよ、教科にせよ、ここにヒントがあるのではないか、と思ったということである。大人が教えたいと思うことが先なのか子どもが知りたいと思うことが先なのか長くなりそうだから、今日はここまで。少なくとも「こうやって拍手をするんですよ。左手はこう、右手はこう。」と、こうるさく言っているうちは、子どもたちの素直な声や反応、気持ちの解放には程遠いだろう。kenshi]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-03-18T14:02:46+00:00</published><updated>2020-05-12T09:14:40+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12580856604.html">
			<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200309/19/sanni1132/e9/2b/j/o1080100814725540709.jpg" width="100%">
			<small><b>『悼む、金森俊朗さん//「教育」2020・4月号』</b></small>
			<br>
			<small>金森俊朗さんが亡くなられました。3月2曰でした。ぼくは直接に知る人ではなかったけれど、友人、知人には金森さんの現場教室を訪問した人や直接話をした人が多く、少し…</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<div>3月2日、金森俊朗さんが亡くなられた。</div><div><br></div><div>そのことを初めに教えてくれたのは、宮崎亮馬だった。</div><div><br></div><div>金森さんのことを知ったのも、宮崎亮馬に教えてもらったからだ。</div><div><br></div><div>自分が、教員２年目のときに、宮崎亮馬が1ヶ月くらい転がり込んできたことがあって、</div><div><br></div><div>そこで教えてもらった。</div><div><br></div><div>金森さんのこと、金森さんの実践のこと。</div><div><br></div><div>折に触れ、金森さんの実践を思い出したり、探したりもした。</div><div><br></div><div>記事が手元にないので、三二さんのブログを拝借。</div><div><br></div><div>ぼくは、ここにある金森さんの記事、</div><div><br></div><div>とりわけ、</div><div><br></div><div>『子どもが本来持っている「原始性」を臆せず解き放て』</div><div><br></div><div>が心に残り、1週間くらい考えている。</div><div><br></div><h3 style="text-align: left;">自分のこと</h3><div><br></div><div>ぼくが研究授業の指導講評で言われた言葉を思い出す。</div><div><br></div><div>「解放はできているが規律ができていない」</div><div><br></div><div>しかも違う講師に、違う授業で言われた。</div><div><br></div><div>つまり、2回言われたことがあるのだ。</div><div><br></div><div>明日から何かの役に立てばと思い、</div><div><br></div><div>しつこく聞いた。</div><div><br></div><div>「具体的にはどういうことですか？」と。</div><div><br></div><div>1人の指導主事は、指名の際の返事だと言い、</div><div><br></div><div>もう1人の講師は、立って発言することだと言った。</div><div><br></div><div>さて、話がそれる前にずばり言うが、</div><div><br></div><h4 style="text-align: left;">「規律は山のようにあるけど解放はない」</h4><div><br></div><div>そういう学校ばかりじゃないか！？</div><div><br></div><div>と、ちょっと思った。</div><div><br></div><h3 style="text-align: left;">解放とはなんだろう</h3><div><br></div><div>ということも改めて考えた。</div><div><br></div><div>「規律は山のようにあるけど解放はない」</div><div><br></div><div>こんな学校で何が起こるのかということを更に考える。</div><div><br></div><h4 style="text-align: left;">まず、子どもは学校を「こうるさい場所」「厳しい場所」と思うだろう。</h4><div><br></div><div>例えば、集会や全校朝会で。</div><div><br></div><div>体育館は静かに。</div><div><br></div><div>静かに入って静かに待つ。</div><div><br></div><div>声を出せば、注意される。</div><div><br></div><div>さらに、5分前行動を強いられている場合は地獄だ。</div><div><br></div><div>5分間、声を出さないように頑張るのだ。</div><div><br></div><div>座り方も決められている。</div><div><br></div><div>縦横合わせられる。</div><div><br></div><div>廊下から並んで来る。</div><div><br></div><div>廊下も静かに。</div><div><br></div><div>廊下の歩き方も静かに。</div><div><br></div><div>今書いたのは。学校の朝の一場面である。</div><div><br></div><div>これだけで、長くしんどく、息の詰まるような時間に感じる。</div><div><br></div><div>これで何が起きるのか。</div><div><br></div><div>素直に声を出せなくなるだろう。</div><div><br></div><div>声だけじゃない、反応もそうだ。</div><div><br></div><div>自然に考えれば、</div><div><br></div><div>人がある音楽やあるパフォーマンスを見て、</div><div><br></div><div>「すごい！」と感じたとき。</div><div><br></div><div>心から、わーってなる。</div><div><br></div><div>拍手ーーって感じになる。</div><div><br></div><div>それが、朝会も始まっていないような場で、声を出すことが咎められるような学校なら、</div><div><br></div><div>声を出していいのかな？</div><div><br></div><div>反応していいのかな？</div><div><br></div><div>拍手していいのかな？</div><div><br></div><div>子どもたちの素直な言葉や反応は日に日に消える。</div><div><br></div><div>こんなことを子どもに思わせていては、</div><div><br></div><div>だめだ。</div><div><br></div><div>『子どもが本来持っている「原始性」を臆せず解き放て』</div><div><br></div><div>この言葉からは、子どものダイナミックなエ</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">ネルギーと、その尊さ、それを引き出す大切</span><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">さを感じた。</span><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div>学級単位の話でなく、</div><div><br></div><div>学校全体が、子どもが素直に気持ちを解放できる場にできるといい。</div><div><br></div><div style="text-align: left;">金森さんの言葉を受け、</div><div><br></div><h3 style="text-align: left;">もっと自信をもって、堂々と子どもたちを「解放」しよう自分！</h3><div><br></div><div>と思った。</div><div><br></div><div>というのが一番考えたこと。</div><div><br></div><h3 style="text-align: left;">「解放」ついでに、もう一つ。</h3><div><br></div><div>４歳の長男が平仮名に興味をもち、読めるようになった。</div><div><br></div><div>ぼくは、これまで「ひらがなも時計も小学校に入る前に覚えちゃったら、やることなくなるよ」派だった。</div><div><br></div><div>それについては今も変わらない。</div><div><br></div><div>その子が興味をもっているのなら</div><div><br></div><div>魚を覚えたることや、むしろポケモンを覚えることの方が、大切なんじゃないかと考えていた。</div><div><br></div><div>長男は平仮名を読めるようになったことを楽しんでいる。</div><div><br></div><div>平仮名もどう習得したのかというと、</div><div><br></div><div>「これなんて読むの？」って聞いて、</div><div><br></div><div>「それは　な　だよ」と言っていた具合である。</div><div><br></div><div>濁点をマスターするのは、遠いのかと思ったが。1日2日で習得したからびっくりした。</div><div><br></div><div>それだって「これなんて読むの？」と妻に聞くことを、繰り返して覚えたようだ。</div><div><br></div><div>そして以前から家にあった五味太郎さんの本などを手にとって声に出している。</div><div><br></div><div>字が読める前からも、本を声に出して読んでいた。</div><div><br></div><div>得意なのは「かお　かお　どんなかお」（柳原　良平さん）　だった。</div><div><br></div><div>これは絵と音をマッチして読んでいた様子で、</div><div><br></div><div>「すましたかお」などの難しそうなところも読めていて感心した。</div><div><br></div><div>「読む」という、物語（イメージ）を取り込むという作業には、</div><div><br></div><div>文字以前の、絵とか音とか、</div><div><br></div><div>そういうものも関係しているということを改めて感じた。</div><div><br></div><div>そんな中でも、</div><div><br></div><div>読みたいと思う本に出会ったということに、大きな意義を感じた。</div><div><br></div><div>平仮名も同じだ。読んでみたいと知りたいと思える平仮名に出会えたことがいい。</div><div><br></div><div>最初は、も　とか　し　とかだった。</div><div><br></div><div style="text-align: left;">学校の話に戻る。</div><div><br></div><div>ぼくが言いたいことは、「解放」の先にこういう「出会い」があるんじゃないかということである。</div><div><br></div><div>漢字にせよ、教科にせよ、ここにヒントがあるのではないか、と思ったということである。</div><div><br></div><div>大人が教えたいと思うことが先なのか</div><div>子どもが知りたいと思うことが先なのか</div><div><br></div><div>長くなりそうだから、今日はここまで。</div><div><br></div><div>少なくとも</div><div><br></div><div>「こうやって拍手をするんですよ。左手はこう、右手はこう。」と、</div><div><br></div><div>こうるさく言っているうちは、</div><div><br></div><div>子どもたちの素直な声や反応、気持ちの解放には程遠いだろう。</div><div><br></div><div>kenshi</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[3学期最大プロジェクトと休校と訴え]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7843872/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7843872</id><summary><![CDATA[我が校には、3月に6年生を送る会がある。自主性（子ども発信で子どもが準備して）の場としては、最大のチャンスの場だと思っている。もちろん、子どものアイディアというのは、実現するのに難しさがある。それにどこまで付き合えるか、心意気というか懐の深さが試される気がする。今年はマジックがやりたいと、たくさんの意見が出た。200人の前でできるのかい？とか、マジックのネタはあるのかい？とか、伝わるのかい？とか、いろいろクギを刺そうとおもったけれど、14人が折れず、歌を歌いたいという約10人と、劇をしたいという約7人からグループを作り組み合わせた。子どももそうだぁたかもしれないが、担任は悩みに悩んだ。毎日のようにマジックを披露する子どもたち。どれも、ちっこいもので、正直体育館ではちょっとというものばかり。そこで、担任は考えたマジックを7個くらい披露した。笑いがとれるマジックも披露したが人気は出ず・・結局6個のマジックが選ばれた。セリフを分けたり、呪文を考えたり、１つのマジックに複数のマジシャンを付けることを提案し、マジシャンをやりたい子は、全員活躍できるようになった。マジシャンは衣装も作った。劇の原稿を家で書いてきたり、コピーしてくださいと僕のところに持ってきたり、タバコの小物ができる。今までも学芸会でそういうことがあった。子どものがんばりも考えたが、20未満だし、タバコの害を高学年で学習するからやめてくれと、それはやめにしてもらった。各グループで集まり、休み時間も練習していた。ある子は、休み時間がないと怒り出したり、やりたいマジックがジャンケンで負けて怒り出したり・・そこでまた友人の対応があり、優しいなぁと感じたりした。特別活動部からの制約があり、7分での演目でということだったが、13分。昔は、それでいいんだと別に気にしなかったが、大人になったので、少し気にした。グループごとの段取り力が上がり、金曜日に7分３０秒。ちゃんと組み合わせて、やり遂げたのはここでのことで、なんか、子どもたちのがんばりに、すごいなぁと感心した。ぼくの知らない仕掛けが、最後に出てきたのだ。そこに至るまでに、笑いながらリハーサルをしたり、マジック披露の段階で恥ずかしくなり小さい声になったり、間違えたといってセリフを止めてしまった子に、本番もそういうことをするのか！やりたいやりたいというだけ言って、責任もってやっていないじゃないか！と厳しいことを言った日もあった。土日の宿題（やることは本人が決める）では、送る会の練習はいいのか？という声があり、いいよと言った。そして、その日の放課後、休校措置が決まる。多分、送る会はなくなるだろう。かなりの罪悪感がある。学級の子どもたちが各々のエネルギーをカラーを発揮して、やり切ったという気持ちでその日が終わることをずっとイメージしていた。かなりの罪悪感だ。できることといえば、明日、ビデオにそれを収める。各教科の実践は、単元の途中で、中途半端な形で止まってしまう。・・・先に言うが、今回の要請、休校措置に関しての批判、是非については書かない。書いたつもりはない。それについては、これから1ヶ月の状況、関連記事を集め、考えていきたい。言いたいことは言うが、そことはちょっと違う。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-03-01T13:41:45+00:00</published><updated>2020-05-12T09:15:37+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>我が校には、3月に6年生を送る会がある。</div><div><br></div><div>自主性（子ども発信で子どもが準備して）の場としては、最大のチャンスの場だと思っている。</div><div><br></div><div>もちろん、子どものアイディアというのは、実現するのに難しさがある。</div><div><br></div><div>それにどこまで付き合えるか、心意気というか懐の深さが試される気がする。</div><div><br></div><div>今年はマジックがやりたいと、たくさんの意見が出た。</div><div><br></div><div>200人の前でできるのかい？とか、マジックのネタはあるのかい？とか、伝わるのかい？とか、いろいろクギを刺そうとおもったけれど、</div><div><br></div><div>14人が折れず、歌を歌いたいという約10人と、劇をしたいという約7人からグループを作り組み合わせた。</div><div><br></div><div>子どももそうだぁたかもしれないが、担任は悩みに悩んだ。</div><div><br></div><div>毎日のようにマジックを披露する子どもたち。どれも、ちっこいもので、正直体育館ではちょっとというものばかり。</div><div><br></div><div>そこで、担任は考えたマジックを7個くらい披露した。</div><div><br></div><div>笑いがとれるマジックも披露したが人気は出ず・・</div><div><br></div><div>結局6個のマジックが選ばれた。</div><div><br></div><div>セリフを分けたり、呪文を考えたり、１つのマジックに複数のマジシャンを付けることを提案し、</div><div><br></div><div>マジシャンをやりたい子は、全員活躍できるようになった。</div><div><br></div><div>マジシャンは衣装も作った。</div><div><br></div><div>劇の原稿を家で書いてきたり、コピーしてくださいと僕のところに持ってきたり、</div><div><br></div><div>タバコの小物ができる。</div><div><br></div><div>今までも学芸会でそういうことがあった。子どものがんばりも考えたが、</div><div><br></div><div>20未満だし、タバコの害を高学年で学習するからやめてくれと、それはやめにしてもらった。</div><div><br></div><div>各グループで集まり、休み時間も練習していた。</div><div><br></div><div>ある子は、休み時間がないと怒り出したり、やりたいマジックがジャンケンで負けて怒り出したり・・</div><div><br></div><div>そこでまた友人の対応があり、優しいなぁと感じたりした。</div><div><br></div><div>特別活動部からの制約があり、7分での演目でということだったが、</div><div><br></div><div>13分。昔は、それでいいんだと別に気にしなかったが、</div><div><br></div><div>大人になったので、少し気にした。</div><div><br></div><div>グループごとの段取り力が上がり、金曜日に7分３０秒。ちゃんと組み合わせて、やり遂げたのはここでのことで、</div><div><br></div><div>なんか、子どもたちのがんばりに、すごいなぁと感心した。</div><div><br></div><div>ぼくの知らない仕掛けが、最後に出てきたのだ。</div><div><br></div><div>そこに至るまでに、笑いながらリハーサルをしたり、マジック披露の段階で恥ずかしくなり小さい声になったり、間違えたといってセリフを止めてしまった子に、</div><div><br></div><div>本番もそういうことをするのか！やりたいやりたいというだけ言って、責任もってやっていないじゃないか！と厳しいことを言った日もあった。</div><div><br></div><div>土日の宿題（やることは本人が決める）では、送る会の練習はいいのか？という声があり、いいよと言った。</div><div><br></div><div>そして、その日の放課後、休校措置が決まる。</div><div><br></div><div>多分、送る会はなくなるだろう。</div><div><br></div><div>かなりの罪悪感がある。</div><div><br></div><div>学級の子どもたちが各々のエネルギーをカラーを発揮して、やり切ったという気持ちでその日が終わることをずっとイメージしていた。</div><div><br></div><div>かなりの罪悪感だ。</div><div><br></div><div>できることといえば、明日、ビデオにそれを収める。</div><div><br></div><div>各教科の実践は、単元の途中で、中途半端な形で止まってしまう。</div><div><br></div><div>・・・</div><div><br></div><div>先に言うが、今回の要請、休校措置に関しての批判、是非については書かない。書いたつもりはない。それについては、これから1ヶ月の状況、関連記事を集め、考えていきたい。</div><div><br></div><div>言いたいことは言うが、そことはちょっと違う。</div><div><br></div><div><br></div>
		</div>
	
		<div>
			<div><br></div><div><br></div><div>１つ目。政府について。強引さと身勝手さ（悪口に聞こえたら申し訳ない）を感じる。</div><div><br></div><div>２つ目。教育委員会について。多くの教育委員会は横の動きを待ちながら、管轄の場所の措置を無難に打ち出しただけに見える。</div><div><br></div><div>そして、現場の声を挟む余地すらない仕組みも問題。</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">３つ目。学校について。</span><br></div><div>6年生を送る会に向けたやる気を引き出した続けた担任は、それがなくなることに罪悪感を抱いている。</div><div><br></div><div>各教科の単元も恐ろしいくらい中途半端な状態で休校に入る。</div><div><br></div><div>宿題を用意できる時間は休校決定からの勤務時間の中で話すと、実質明日だけ。</div><div><br></div><div>空きコマとかない場合早くいく他ない。</div><div><br></div><div>卒業式の呼びかけには、声を出すのが苦手な子がいる。やる気いっぱいだったから、周りの反対を考慮しながらも・・決定。</div><div><br></div><div>そして、嫌がらない程度に少しずつ練習。だけど、それだって本番がなければ、申し訳ない。</div><div><br></div><div>突然の休校で荷物を持ち帰らせたり、わけのわかんないまま帰らさせたり、そして四月には今年度受けもった担任はもういないというところもあるだろう。</div><div><br></div><div>終わらなかった学習内容の補填も来年度、学校任せの状態で降りてくるのではないだろうか。</div><div><br></div><div>だって学力テストを重視して、自治体によっては〇〇ドリルみたいなものを、半強制的に降ろしてくる現状がある。</div><div><br></div><div>もう一度言う。今回の要請、休校措置に関しての批判、是非については書いたつもりはない。</div><div><br></div><div>ただ、現場のこういう気持ちを少しでも考えているのかということを言いたい。</div><div><br></div><div>決定には、現場の声が入らず、しかし中身はは丸投げ。</div><div><br></div><div>単元計画の再計画と週案の書き換えと、課題づくりをしていることや上記のような気持ちを抱いていることを知っているのかということである。</div>
		</div>
	
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		<figure>
			
		<a href="https://ameblo.jp/sanni1132/entry-12578963609.html">
			<img src="https://stat.profile.ameba.jp/profile_images/20170927/06/23/go/j/o048306951506463068705.jpg" width="100%">
			<small><b>『長野県池田町の竹内教育長の思い』</b></small>
			<br>
			<small>アベの全く突然の方針転換とも見える「全国一斉休校」要請によって、学校現場は大混乱です。これまでの中央統制によって、「お上」に唯々諾々と従うと目論んだのでしょう…</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<div>竹内教育長と政府及び、横並びを気にした教育委員会の違いは想像力である。</div><div><br></div><div>そして、今回の措置（強引で身勝手な一言で時数や教科内容も、子どもたちと教員の心の整理が終わらないまま、学期を閉じるということ。と、</div><div><br></div><div>現場の声も聞かず、多くの具体的手立ては学校に投げ、柔軟な対応力を求めるということ。）が許されるなら、</div><div><br></div><div>例えば、台風やインフルエンザが原因で時数が足りなくなり、７時間目や土曜日に振替を行っている学校はなんなのか。</div><div><br></div><div>例えば、週３0コマになったから、振替のない土曜授業を増やしたり夏休みを短くしたりしている現状はなんなのか。</div><div><br></div><div>例えば、年間指導計画と違うという理由で、教科書教材の入れ替えに文句をいう指導はなんなのか。</div><div><br></div><div>例えば、算数少人数は習熟度別でやらないと認められないという指導はなんなのか。</div><div><br></div><div>例えば、教科時数は厳密な数を指定する必要はあるのか。その監査は必要あるのか。</div><div><br></div><div>都合がいいときだけ、柔軟な対応力に頼られてるなぁということも大きな声で言いたい。</div><div><br></div><div>こんな話をしたところで、</div><div><br></div><div>「つまんないこと聞くねえ」と言われるかもしれないけど。</div><div><br></div><div>kenshi</div><div><br></div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[オープンな発問の効用]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7632306/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7632306</id><summary><![CDATA[読み物、教材のはじめに題名読みを行う。「題名を聞いて思ったこと、感じたこと、考えたこと。イメージしたことなんでもいいよ。」道徳の読み物を読んだあと、「思ったこと、感じたこと、隣の人とはなしてください。」このオープンな質問について9年間言われ続けたことがある。そしてそれでも辞めない理由もある。初任研、研究授業、道徳地区公開講座、授業観察。この発問が自由すぎるという指摘である。ねらいと関係ない。価値項目がずれる。時間がもったいない。意図が不明。多かれ少なかれ、言われ続けている。もちろん誤解がないように言うが、授業にはねらいがあるし、授業の入り口に、行うことで、本時のテーマに興味をもたせたり、率直な感想を聞くことで、主体的にねらいに近づくことができる可能性も感じてたり、もっというと子どもの発見や「おーそこがこの子は一番気になるのか？」という発見があったり、それなりの意図がある。先日も「友達が腹いせにボールを遠くに蹴り取りにいかせた」というような内容が読み物教材の文章の中にあったとき、子どもの中からいじわる、ひどい、などの声が上がった。「担任の先生に言わないのが不思議」という感想をある男の子が出した。とても告げ口の多い子である。不満を感じると、言わずにはおれずなんだなぁということをあらためて感じた。そういう意見や感想が受け入れられるから、自分ごととして考えられるのではないか。また、読んでいて疑問に思ったことを素直に聞いてもらえるから、あーそうかやそーいうことかと、気楽に聞いてもらえて解決できる安心感を抱いて。落ち着いて参加できたりするのではないだろうか。なのでぼくが言いたいことの一つは、「考えてほしいところ」に至るまでのスモールステップ的な効用が「オープンな発問」にはあるということである。2つ目は、発言できる雰囲気、それが楽しい、聞くのも楽しい。そういう雰囲気を作っていく過程で「オープン的な発問」はとても重要なのではないかということである。難しくない。間違いがない。だけど、一人一人の考えには違いが生まれる。ぼくだけの意見が言える。この積み重ねが、発言を楽しむ雰囲気をつくっているのではないかと感じている。今のところというか非常に感覚的なんだけど、どうして1学期はあまり発言しなかったこの子は、発言するようになったんだろうとか考えると、自由に言えた、そして認められたという気持ちが、自信を生んだのだと思う。研究授業などで。たくさんの子どもが発言していることを褒めて、オープン的な発問を否定する方がいらっしゃったりするが、この２つが繋がっている可能性に目を向けていただきたい。もう少し言うと、シャイな子や声の小さい子への指導をと、提言される方もいるが、シャイな子や声の小さい子が、３０人の前で手を挙げて意見を言えていることに、いいなぁと感じるような感覚も大事だと思う。さて、ねらいらからそれないように発問を組み立てる授業についても思うことがある。レールが敷いてある授業についてである。聞こえが悪かったら申し訳ないが、発問に対する子どもの答えは、教師の手の中。そんな状況の中で、本当に子どもは考えたいと思うのだろうか。教師が答えてほしいことを子どもが考えるみたいで、なんか解せない。少なくとも、考えることが楽しいなぁにはならないだろう。ちょっと話はかわる。先日、道徳地区公開講座で心震える思いをした（子どもの意見を聞いて心震えるという表現は山崎隆夫さんのうけうり）「Aくんは楽しさという意味で公平を大事にして、Bくんは強さという意味で公平さを求めている」といった言葉がある女の子から出た。価値項目は公正、公平、正義。かなり分析的で「サッカーが下手な友達を入れようとするAくんは優しくて公平。入れようとしないBくんはひどい」という感じの「思考」から学級全体が新たな気付きを得るタイミングだったので、心震えた。もっというと、この意見を言った子は1度座った。気になって聞くと、ぼくの発問の受け答えと違う気がするという理由だったので、「一応言ってみて」という展開だった。この意見を、壊さないように（下手に解説するとせっかく子どもから出たものが台無しになるし、流れないように繋げなきゃいけないと）慎重に授業を進めた。その際、指導案にあった発問は辞めた。今、生まれた流れを壊さないように慎重にである。それでも、たとえ慎重に扱っても、多くの授業で「お粗末様でした」と言いたくなる。授業の難しさと力不足をまた受け止め直す。そして真剣に受け止め続けると辛くなる。そのときは、力不足を「伸び代」と捉え直して、肩の力を抜くよ、自分。kenshi]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-01-22T13:24:13+00:00</published><updated>2020-05-12T09:16:56+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[何かしら理由があるのでは。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7578960/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7578960</id><summary><![CDATA[職場で仕事量は多いほうだと思います。自分より若い方から、研究授業の相談をうけました。一緒に語る会をしている人なので、ぼくにできることならと思って、2、3日考えました。]]></summary><author><name>宮崎亮馬</name></author><published>2020-01-11T23:38:19+00:00</published><updated>2020-01-12T00:42:56+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<div>職場で仕事量は多いほうだと思います。</div><div><br></div><div>自分より若い方から、研究授業の相談をうけました。一緒に語る会をしている人なので、ぼくにできることならと思って、2、3日考えました。</div><div></div>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7238626">
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/443425/3e11339f016dfa62aac4aed68f917d9a_0b84e5449e213cbc66a285aef6736c9f.jpg" width="100%">
			<small><b>同僚が仲間に変わるときは？</b></small>
			<br>
			<small>教師歴10年を前にして初体験をしている。いや感じている。それは職場の先生と授業の教材研究をしたり、自分の指導を語ったり、読んだ本について語ったりするのが、楽しいということだ。このことは当たり前なのかも</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<div><br></div><div><br></div><div>せっかくだからと、語る会でみんなで考えるてみようということで、６人で授業について話し合いました。</div><div>その会は、とても楽しく、自分の知らなかった視点などを新たに気づけました。2時間くらい。</div><div>こんな会がたくさんしたいと感じました。</div><div>会の最後に、あとはここの部分をしっかり自分の学級を考えて、どうするか考えてみてね。と宿題？のような形がでて、終わりました。</div><div><br></div><div><br></div><div>ですが、職員全体でその授業を考えるとき、</div><div>ここの部分考えておいてねと話していたところをその人は考えていませんでした。</div><div>やはり、そこを突っ込まれてあたふたなっていました。ぼくもそこを考えていたので、できるだけ突っ込まれ続けないように意見をだしました。</div><div>全体会では、そこ以外は語る会で話していたので、大きく授業者があたふたと意見を返すところはありませんでした。　</div><div><br></div><div>会が終わり悩みました。</div><div>・なんであそこ考えてこなかったのと言おうか。</div><div>・もう知らん！と思って黙っておくか。</div><div>・もう一度一緒に考えようと言おうか。</div><div><br></div><div>この中のどれかを選択しましたが、、、</div><div><br></div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[本当にしたい仕事までなかなか行きつかない件とこれからの自分について]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7556766/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7556766</id><summary><![CDATA[事務仕事が多いこともあるし、事務仕事が遅いこともあるし、昨日の朝は、年休をとって遅めに行ったこともあるし、今日は病院に寄ってから、職場に行ったこともある。けど、クラスのことに行き着いたのは今日の退勤時間後。いつかの備忘録のために書く。昨日の午前中は第3学年の年間指導計画。国語、書写、理科、道徳、算数、外国語、社会、総合はまだ、しかも副担と分担して終わらせた。お昼挟んで、学校評価の記入。新入生説明会の準備打ち合わせ。学年の研究授業の打ち合わせが物理的不可能となり翌日に流れる。本日は、午前中、学年だより（一月の予定表、学習内容、行事のお知らせ）学校評価の追記。お昼挟んで。体育科の年間指導計画。学年の研究授業の打ち合わせ。学年だより仕上げ。退勤時間。明日からの授業の教材づくり、したいことの準備はやっとここからである。もっと話すと、自分が今したいことはなんだとか、子どもが面白がり、学びがいのある活動はなんだとか、モヤモヤしたものがこの冬休みはずっとあった。そういう気持ちを晴らし、実践の方向性を自分なりに固め、作戦をまとめ、3学期にやり抜くことで、自分も子どもも、もうワンステップ成長し、なお楽しさも感じられるのではと、考えていた。内地では、本屋にも行った。アマゾンで、選書した。一昨日は本を引っ張り出したりしまったり、ノートに書いたり、何人かの実践家のブログを読みあさったりして午前2時を迎えた。昨日は、具体的に準備できるものは何か、何から始めればよいのか、そういうことをまとめていった。（具体的にいうと子どもたちが係のことや漢字、学習のことを仲間や個人で本にしていくような活動で、その読み合いやコメント、教室にどう配置するか、または家庭学習と結びつけたりなど）そして、午前1時になった。自分の子どもと遊んだりテレビを見たりもしていたから、そういうところで効率の悪さはあったと思うが、ただ、このモヤモヤとしっかり向き合い、新学期に向けて具体的に固めたり準備したりする時間が、本当はほしい。そして具体的な準備（テキストセットを作るための選書、印刷、掲示、本づくりのための箱や棚のセット）が本日の帰りを遅くしたのである。本当に大切なことを中心に据えた仕事にしていきたい。お金とか機械とかでそうなるのか。人を増やして、そうしていくのか。話は逸れるが、昨年インターナショナルスクールで働いている方とお話しした。退勤時間で全員が帰るのだという。成績もシステマティック。学芸会や運動会なし。集会なし。お金にさわるのは学校事務さん。人の数がかなり多く、空コマで教材を準備する時間がきちんと取れるという。何より画期的に思えたのが、クレーム対応の担当がいるという話であった。行事などについては寂しいと思うこともあるかもしれないが、それでも全員が定時でというのは憧れのようなものを感じたし、公立の学校も見習うべきところはあると思った。話は戻り、本当に大切なことを中心に据えるまでの道筋は今の混沌とした現場では少々見えないが実現してほしい。そう願う中、最近ちょっと考えたことがある。この先続く教員のことである。もう少し詳しく話していく。ぼくは教員になった初任から４、５、６年生と持ち上がり、3年目に卒業生を出した。その卒業生は、今年高校3年生となり多くの子が受験を迎えている。本当は、早過ぎて、信じられない気持ちである。推薦などで早くに合格した子から、そのお知らせがメールで一つ、年賀状で一つ届いた。一つに教育学部とあった。おっ！と思った。（もちろんどの学部でも、仕事でも、頑張っていることでも、受けもった子からの報告を受けるのは本当に嬉しい）ぼく自身にもそんな時があった。まだよく見えない進路を何度も考え、学部を選択し、受験をした時だ。もちろん大学に入ってから、本格的に進路について考えていくことは分かっている。自分もそうだった。そうであれ、教育学部という言葉を聞いたとき、やはり教員や教育に対して興味をもってくれたこと自体に、やはり嬉しく思う。そこでだ。もし仮にこの先、自分がうけもったどの子かが（うけもっていなくてもだが）「教員になろうか悩んでます」と言ってきたときに、ぼくは、どれくらいちゃんとした応えを返すことができるのだろう。たった10年の中だが、光と影があることも知っている。あれは辛かったよなぁということもやはり体験しているし、日々、子どもと過ごす面白さや楽しさだって話せると思う。つまり、そういう後世のためにも、本当にしたいことになかなか行き着けない現状を、仕方ないで諦めたくないのである。働き方改革を、「意識が足りない、努力と工夫が足りない」などという自己責任にすり変えられるようなことは、やはりあってはならない。しっかり大幅な時間を奪っている事務仕事、負担を減らしていただく。そして、教員の仕事について聞かれたときに、そのよさと面白さを語れるような、「楽しんで過ごす術」を増やしていきたい（グチは少々減らそう）と前向きに思った。「楽しんで過ごす術」については、自分の足とペースで増やしていく。こっちは自己責任で。kenshi]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2020-01-07T13:37:30+00:00</published><updated>2020-05-12T09:22:07+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[「行動の記録」に対して感じたことの備忘録]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7470740/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7470740</id><summary><![CDATA[道徳科における評価ついて「個々の内容項目ごとではなく，大くくりなまとまりを踏まえた評価とすることや，他の児童との比較による評価ではなく，児童がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め，励ます個人内評価として記述式で行うことが求められる。」と学習指導要領解説に記されている。これは、できている、できていない、よい、よくないのような判断ではなく、一人一人のよさを認め、フィードバックしていくような評価となる。さて、通知表に「行動の記録」というものがある。あいさつ、きまりを守る、忘れ物、整理整頓、仲良く、掃除などを評価する項目がある。学校によっては「できる」と「たいへんよくできる」の２つで評価するところもあるそうだが、ぼくはこれまで「できる」「できない」の２つで評価する学校にしか勤めていない。それで、この「行動の記録」に対して思うことが出てきた。一つは、大人が思う、画一的な子像に当てはめている感じである。二つ目は、発達的な障害がある子どもたちに、「できない」の評価は集中しないかということである。それも、一つの特性か原因でいくつもの項目に「できない」がつくこともあるのではないだろうか。現在、指導要領や新聞、社会の中で多様性という言葉がよく見られるようになった。だが、この行動の記録の評価がある以上、多様性を認めていることにはならないのではないだろうか。ぼくが受けてきた特別支援の授業や研修では、発達障害の児童の２次障害を避けるべきで、自己肯定感への配慮や特性に対する叱責はよくないといったことをよく聞く。特性に対して、いちいち「できない」と一年に3回、長ければ6年間も言われ続けることは、苦痛だろう。「行動の記録」で評価されるという時点で自己肯定感への配慮は感じられない。まさかと思うが、緘黙の子のあいさつに「できない」がつくようなことは起きていないだろうか。いずれにしても、そういう危険性を感じたので書くことにした。できないところを探すのではなく、一人一人のよさに気付き、それをフィードバックできる大人でいたいし、願わくば、そんな日常とリンクした通知表をつくりたい。kenshi]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2019-12-20T11:47:08+00:00</published><updated>2020-05-12T09:22:45+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>道徳科における評価ついて「個々の内容項目ごとではなく，大くくりなまとまりを踏まえた評価とすることや，他の児童との比較による評価ではなく，児童がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め，励ます個人内評価として記述式で行うことが求められる。」と学習指導要領解説に記されている。</div><div><br></div><div>これは、できている、できていない、よい、よくないのような判断ではなく、一人一人のよさを認め、フィードバックしていくような評価となる。</div><div><br></div><div>さて、通知表に「行動の記録」というものがある。あいさつ、きまりを守る、忘れ物、整理整頓、仲良く、掃除などを評価する項目がある。</div><div><br></div><div>学校によっては「できる」と「たいへんよくできる」の２つで評価するところもあるそうだが、</div><div><br></div><div>ぼくはこれまで「できる」「できない」の２つで評価する学校にしか勤めていない。</div><div><br></div><div style="text-align: left;">それで、この「行動の記録」に対して思うことが出てきた。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">一つは、大人が思う、画一的な子像に当てはめている感じである。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">二つ目は、発達的な障害がある子どもたちに、「できない」の評価は集中しないかということである。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">それも、一つの特性か原因でいくつもの項目に「できない」がつくこともあるのではないだろうか。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">現在、指導要領や新聞、社会の中で多様性という言葉がよく見られるようになった。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">だが、この行動の記録の評価がある以上、多様性を認めていることにはならないのではないだろうか。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">ぼくが受けてきた特別支援の授業や研修では、発達障害の児童の２次障害を避けるべきで、</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">自己肯定感への配慮や特性に対する叱責はよくないといったことをよく聞く。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">特性に対して、いちいち「できない」と一年に3回、長ければ6年間も言われ続けることは、苦痛だろう。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">「行動の記録」で評価されるという時点で自己肯定感への配慮は感じられない。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">まさかと思うが、緘黙の子のあいさつに「できない」がつくようなことは起きていないだろうか。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">いずれにしても、そういう危険性を感じたので書くことにした。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">できないところを探すのではなく、一人一人のよさに気付き、それをフィードバックできる大人でいたいし、</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">願わくば、そんな日常とリンクした通知表をつくりたい。</div><div style="text-align: left;"><br></div><div style="text-align: left;">kenshi</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[最短距離（効率）を求める姿勢が見失うもの]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7328501/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/443425/ec680fd4ff8915d785c53fce3d1c2793_85290dfa3a10be4bfd2c32762bec130c.jpg"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7328501</id><summary><![CDATA[学力テストの結果を見ると、その学校、学年が、全国の真ん中以上なのかどうか、都道県内で半分以上なのかどうか、そういうことが一目瞭然となる。そのテストが悪ければ、子どもよりも、教員が、教員よりも管理職が、管理職よりも、教育委員会が、市町村を超え都道府県の教育委員会・・・上に上がれば上がるほど子どもの顔から離れた場所で、目標がつくられていく。そこでつくられた目標は、もう個人に対する配慮などなく、子どもたち数十人が束になってできた結果をもってしか語られない。上のことは一つの問題点である。今書いた目標というのは学力（非常に狭義な意味での）をあげることになる。この上なくシンプル。その目標に向けての最短距離が、過去問での学習や「なんとかベーシックドリル」だろう。問題があって、その答えがあって。課題解決の最短距離である。これを反復すれば、間違いなく目標に向かって上がっていく。ただ、上がりゃいいのかというのがまた一つ問題となる点である。たとえ、勉強が楽しいと感じなくても、上がりゃいいんだ。言い方はともかく、そんな感じに考えている人がどこかにいそうだ。子どもから離れたところにいる、だれかかもしれない。上の調子でものを考える人が、授業にまでこういった考えを降ろすともっと大変である。授業にはねらいがあって、それが身につければいいんだ。辛くたって、面白くなくたって、身に付けた方が偉いんだ。漢字の話でいうなら、とにかく書けるようにすればいいんだ。この上なくシンプルだ。ねらいと、習得の最短距離である。翌年の学力テストには役立つだろう。これら最短距離は実に効率的であるが、翌年の学力テスト以外にどれくらいのことを子どもたちに残すのだろうか。大切なのはそのずっと先であるはずだが、その前提条件は悲しいくらいなおざりにされている。さて本題に入る。学びが、効率的な答え探しや習得することにすり替えられていることに声を大にして文句を言いたい。学びとは何か、偉そうなことを並べるつもりはないが、きっと人生を豊かにするものである。字を学び、本が読めれば世界は広がる。別にその本が役に立つとかどうかではなく、ちょっとだけ今よりも高いところから世の中が見えるようになる。難しいことをいうつもりはないが、そういうことができるのは、その本にちょっと読んでみようかなぁという「興味」が湧いたからである。4歳の息子が字をいくつか書き始めたが、一番初めの字は「も」であった。「あ」ではないし、自分の名前にも入っていない。そうやって、ただ純粋な興味だけで、文字に関わってくるのかと思った。一番上の漢字学習はどう考えても、最短距離ではない。しかし、学びに必要な「楽しさや面白さ」がある。自分だけじゃなくて、他の人の漢字を見れば「おーこれは面白い！」とまた発見がある。（誤解がないように書くが、たまにであって、いつもやっているわけではない。時間的に不可能。）さて、もうひとつ最短距離では失ってしまうものがある。それに気付いたのは最近。ぼくらの、子どもの面白さに浸る時間である。最短距離では面白さと出会えない。「なんでこの子はこんなことを言ってるのだろう？」「あー分かった」「こういう理由で間違えたんだな。なるほど！間違いだけど紹介したい」そして、時間的にゆとりがないと、子どもの面白さに気付き、楽しむことはできないだろう。実にもったいないことなので、気を付けていきたい。kenshi]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2019-11-21T12:56:02+00:00</published><updated>2020-05-12T09:27:33+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[宿題に対する考察]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7297161/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/443425/77c476c71dc7f5363ed9e70b96dc00d4_c08ad15f248659d0d58b7ad41baccc2a.jpg"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7297161</id><summary><![CDATA[昔々、ぼくは小学生のとき、多分宿題をほとんどやらなかった時期がある。３、４、5年生の時である。当時の担任もあまり本気で出したり、回収したりしていなかったのではないかと思う。１年生の頃は、怖かったので出した。2年生の時は、とにかく苦しんだ。引き算のくり下がりが全然頭に入らなかった。なんとか習得したのは減減法だったので、プロセスを虫食い式にしたテストは、答えしかあっていなかった。掛け算は、習っている時は全然わからず、母親の特訓で、1日2日で習得した。先生も子どもも出したり出さなかったりの当時だったが、最近は、ほとんどの学校でマニフェストのように、具体的な時間を保護者会の資料やホームページに明記している。学年×10分とか、こうなると出さなきゃいけない。教員になったぼくは、その時間の中で、自分で学習メニューを決めて勉強してくるようにとしている。メニューは4月に紹介している。最初は、それで大丈夫かと戸惑う保護者もいたりするだろうが、勉強が苦手な子には個別のプリントを刷ったり、クラス代表でしゃべる言葉やポスターの絵に時間を当てたり、読書もオッケーとしたり、結構応用が効いて、いいなと思っている。子どもの興味や熱中していることが、出てくるので面白いとも思う。さて、この宿題なのだが、毎日のチェックが負担だと思っていた。休み時間に高速でチェックすれば、なんとかなるわけだが、当然事件の起きる日もある。休み時間に遊びやおしゃべりに関われない。要は、物理的に無理があるんじゃないかと考え始めた。マニフェストだけを掲げ、宿題の内容もチェックも担任の責任で。となっている構造を恨んだ日もあった。面白いなぁと思ったものや、今日はがんばったなぁと思うものには、やはりコメントを入れたい。そんな中で、少しでもゆとりのある日々を目指し始めたのが、宿題くじ引き制である。毎日、10人分くじを引く。次の日は、先日の10人を抜いた状態でまた10人分のくじを引く。提出するのは、くじで当たった子と、今日はすごく見てほしい！と思う子。30人学級なら、3日で全員分が回ってくるという感じである。これは今のところ、なかなかよさそうだ。]]></summary><author><name>Kenshi</name></author><published>2019-11-15T08:57:52+00:00</published><updated>2019-11-15T11:48:51+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>昔々、ぼくは小学生のとき、多分宿題をほとんどやらなかった時期がある。３、４、5年生の時である。当時の担任もあまり本気で出したり、回収したりしていなかったのではないかと思う。</div><div><br></div><div>１年生の頃は、怖かったので出した。2年生の時は、とにかく苦しんだ。引き算のくり下がりが全然頭に入らなかった。なんとか習得したのは減減法だったので、プロセスを虫食い式にしたテストは、答えしかあっていなかった。</div><div><br></div><div>掛け算は、習っている時は全然わからず、母親の特訓で、1日2日で習得した。</div><div><br></div><div>先生も子どもも出したり出さなかったりの当時だったが、</div><div><br></div><div>最近は、ほとんどの学校でマニフェストのように、具体的な時間を保護者会の資料やホームページに明記している。</div><div><br></div><div>学年×10分とか、</div><div><br></div><div>こうなると出さなきゃいけない。</div><div><br></div><div>教員になったぼくは、その時間の中で、自分で学習メニューを決めて勉強してくるようにとしている。</div><div><br></div><div>メニューは4月に紹介している。</div><div><br></div><div>最初は、それで大丈夫かと戸惑う保護者もいたりするだろうが、</div><div><br></div><div>勉強が苦手な子には個別のプリントを刷ったり、</div><div><br></div><div>クラス代表でしゃべる言葉やポスターの絵に時間を当てたり、</div><div><br></div><div>読書もオッケーとしたり、</div><div><br></div><div>結構応用が効いて、いいなと思っている。</div><div><br></div><div>子どもの興味や熱中していることが、出てくるので面白いとも思う。</div><div><br></div><div>さて、この宿題なのだが、毎日のチェックが負担だと思っていた。</div><div><br></div><div>休み時間に高速でチェックすれば、なんとかなるわけだが、当然事件の起きる日もある。</div><div><br></div><div>休み時間に遊びやおしゃべりに関われない。</div><div><br></div><div>要は、物理的に無理があるんじゃないかと考え始めた。</div><div><br></div><div>マニフェストだけを掲げ、宿題の内容もチェックも担任の責任で。となっている構造を恨んだ日もあった。</div><div><br></div><div>面白いなぁと思ったものや、今日はがんばったなぁと思うものには、やはりコメントを入れたい。</div><div><br></div><div>そんな中で、少しでもゆとりのある日々を目指し始めたのが、宿題くじ引き制である。</div><div><br></div><div>毎日、10人分くじを引く。</div><div>次の日は、先日の10人を抜いた状態でまた10人分のくじを引く。</div><div><br></div><div>提出するのは、くじで当たった子と、今日はすごく見てほしい！と思う子。</div><div><br></div><div>30人学級なら、3日で全員分が回ってくるという感じである。</div><div><br></div><div>これは今のところ、なかなかよさそうだ。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[同僚が仲間に変わるときは？]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7238626/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7238626</id><summary><![CDATA[教師歴10年を前にして初体験をしている。いや感じている。それは職場の先生と授業の教材研究をしたり、自分の指導を語ったり、読んだ本について語ったりするのが、楽しいということだ。このことは当たり前なのかもしれないけど、・子どもたちと一緒にいるときくらい楽しい。・同じ学校内の先生とやって楽しい。のは、はじめて。特に、子どもと一緒にいるときくらい楽しいというのは自分ですごくびっくりしている。最近、神戸の件が氷山の一角であったようにちらほら他の話がでている。あれの対抗ではないけど。職場の先生と語り合うの楽しいよの会を広めていきたいなと思っている。なんで楽しいのか。なぜ今になって気づいたのか。などについては、まだ良く分からないけれど。]]></summary><author><name>宮崎亮馬</name></author><published>2019-11-04T07:39:45+00:00</published><updated>2020-01-12T00:43:12+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>教師歴10年を前にして初体験をしている。いや感じている。</div><div><br></div><div>それは職場の先生と授業の教材研究をしたり、自分の指導を語ったり、読んだ本について語ったりするのが、楽しいということだ。</div><div><br></div><div>このことは当たり前なのかもしれないけど、</div><div>・子どもたちと一緒にいるときくらい楽しい。</div><div>・同じ学校内の先生とやって楽しい。</div><div>のは、はじめて。</div><div><br></div><div>特に、子どもと一緒にいるときくらい楽しいというのは自分ですごくびっくりしている。</div><div><br></div><div>最近、神戸の件が氷山の一角であったようにちらほら他の話がでている。</div><div><br></div><div>あれの対抗ではないけど。</div><div>職場の先生と語り合うの楽しいよの会を広めていきたいなと思っている。</div><div><br></div><div>なんで楽しいのか。</div><div>なぜ今になって気づいたのか。</div><div>などについては、まだ良く分からないけれど。</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[会の継続に必要なものを考えないとな。]]></title><link rel="alternate" href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7167359/"></link><id>https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7167359</id><summary><![CDATA[心の片隅でこの事件のようなことに、対抗したいと思っていたのかもしれません。

前までは、自分の学級だけを考えていたのが、いつからか学校、職場について考えだしました。

自分のやっていることや悩み、不安を語れる場所がサークルなんだろうけれども、それが職場にあったらなあと思いました。

そのために、ぼくは動こうと。

でも周りの目を気にするぼくです。
少しずつ自分の声が通じる範囲を広げるために2年ほど費やしました。
色々、やりました。若い自分には、小心者の自分にはこれくらいの時間が必要でした。

そして、やっと職場に、語ろく会をつくることができました。自分はその会で色々学びたかったので、勉強会と思ってましたが、自分より若い人から、堅苦しくないほうがいいですと言われ、名前を改めました。

会には、5、６人の人が参加してくれます。回数は、5回になりました。
基本的に、若い人が多いですが。自分より年上の人も２人います。
管理職から、ああいう会いいねとも言われました。
そりゃ、やるまでに2年かかってるからか。

自分の目標は、自分がいなくなってもこの会が継続され、自分は違う学校でまたつくる。会の人がまた違う学校に行って同じようにつくる。その繰り返しです。

むかし、自分が良く聞いていた、シンク・グローバリー　アクト・ローカリ―　ってこういうことか。
]]></summary><author><name>宮崎亮馬</name></author><published>2019-10-22T03:23:43+00:00</published><updated>2020-01-12T00:43:27+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			心の片隅でこの事件のようなことに、対抗したいと思っていたのかもしれません。<br /><br />前までは、自分の学級だけを考えていたのが、いつからか学校、職場について考えだしました。<br /><br />自分のやっていることや悩み、不安を語れる場所がサークルなんだろうけれども、それが職場にあったらなあと思いました。<br /><br />そのために、ぼくは動こうと。<br /><br />でも周りの目を気にするぼくです。<br />少しずつ自分の声が通じる範囲を広げるために2年ほど費やしました。<br />色々、やりました。若い自分には、小心者の自分にはこれくらいの時間が必要でした。<br /><br />そして、やっと職場に、語ろく会をつくることができました。自分はその会で色々学びたかったので、勉強会と思ってましたが、自分より若い人から、堅苦しくないほうがいいですと言われ、名前を改めました。<br /><br />会には、5、６人の人が参加してくれます。回数は、5回になりました。<br />基本的に、若い人が多いですが。自分より年上の人も２人います。<br />管理職から、ああいう会いいねとも言われました。<br />そりゃ、やるまでに2年かかってるからか。<br /><br />自分の目標は、自分がいなくなってもこの会が継続され、自分は違う学校でまたつくる。会の人がまた違う学校に行って同じようにつくる。その繰り返しです。<br /><br />むかし、自分が良く聞いていた、シンク・グローバリー　アクト・ローカリ―　ってこういうことか。<br />
		</div>
	
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			<p><a href="https://akarukimirai.amebaownd.com/posts/7122124">akarukimirai.amebaownd.com</a></p>
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