発見に胸がふるえる。

子どもの発言に心が震える瞬間というのが、年に何度かある。

想定していないことというか、授業の流れにその子の一言が、学びに深さを生むというか、

今みんなで勉強していることは、すごい価値のあることだったんだと、自分の方が気付かされるような瞬間。

この発言を、流れを、壊してはならないと慎重になる。

強引に引っ張てはいけない、だけど流してしまってもいけない。
震える瞬間は、発言だけではない。

心震える瞬間は、子どもの書いたものを読んでるときも訪れる。

ある年のこと、物語文の紹介レポートのようなことを授業で扱った。

出会ってわりとすぐのこと。
その子たちは、低学年。
書くことに躊躇いのない子どもたち。

最初なんて、書けない子が半分で当たり前くらいに想定していたから、びっくりした。

書くことに勢いがある。

最初に登場人物のこと(性格や外見)を読み取り、箇条書きさせた。
その中で、「やさしい」など、多くの子どもが書いていたところを取り上げ、証拠探し(根拠となる文に線を書く)を行った。

以上の読み取りを、レポートの「はじめ」に文章で書く。

その次からは、出来事を読み取り、

それをあらすじにして、レポートの「中」に書く。

最後は、「おわり」に感想を書く。

そんな感じでのレポートづくり。

それが終われば、小さくイラストなんかを入れて、画用紙に貼った。

放課後、その一つ一つを読んでいるときである。

ある子のレポートに、心震える瞬間が訪れた。

あらすじの言葉が、教科書のものでも、多くの子が用いているような授業の言葉とも少し違う。

なぜそうなるのか。

あらすじが、的確。

だけどそれだけじゃない。そういう子は、他にもいる。

それは、自分なりの解釈を入れながら表現しているからである。

教科書のビルを、自分の知っているビルと重ねて表現したり、

登場人物の動きに対し、自分だったらこうするけど、そこではこうだったなどの、解釈がすてき。

そういう文章が続く。

その子にしか書けないレポートである。

そして、震える理由のもう一つは、発言の多い子ではないというところにもある。

日常でも、話しかけてくれることは多くあったが、どこかゆっくりしているというか、マイペースというか。

気にして見てあげなきゃな、というところがあった。

靴を脱ぎ履き替えたりしたら、下駄箱にしまうのを忘れちゃう。

そういうところがあった。

その子の語彙力、言葉の表現力、内面での言語活動。

ぼくの、ものさし(観察?)なんかじゃはかれない。

簡単に、はかろうとしたら、いけないなぁと思った。

そのときの感動を思い出し、今涙が出てる笑

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