まだ一週間。

たった一週間しか経ってないはずだが、色々あった。

色々あったのは、金曜日1日かもしれない。

そして、色々に付随して少々の「煽り」にあった。

(最初は、「煽り運転」と書こうと思ったが、YouTubeの映像を見ると「これはひどい!」というものばかりで、そこまで言ってしまうと不謹慎だと考え直し、少々の「煽り」にと修正した。)

この少々の「煽り」というのは、ぼくやその学級に対して、不安だから起こる、

「あーしてほしい、こーしてほしい」と言われる現象である。

ぼくはもうこの少々の「煽り」を恒例行事と思い、春の風物詩みたいに感じたほうが、

どうにかこうにか、言われたことを消化できるのではないかと、今考えている。

一体何度言われたことか。

言われるたんびに、頭に来たり、はぁ?と思ったり、辛くなったり、わなわなしたり。

これから先も言われるのかと思うと泣きそうになる。

自分になにか非があるのではないかと思いそうになったが、やめた。

少々の「煽り」を恒例行事と思うことで、

「今年もでたでた」「よっしゃきたきた」みたいな、感覚で受け入れられるのではないかということである。

今までもこれからも行われる恒例行事だから、ここで書く管●職や学校は、ある個人やある学校を特定したものではない。

あくまで、一般論であり、イメージである。
ということを、あらかじめ断っておく。

以下は、どの個人もどの学校も特定していない、この恒例行事についてである。

何をよ 恒例的に言われるかというと、

「そろそろシメた方がいい」というのが結論である。

え?大きな声で怒るんですか?と聞くと、

そうじゃない!それはよくない!と言われるから、ますますイメージが湧かない。

「とにかく問題は、楽しい楽しいになっている」と言われるのである。

恒例行事的に言われる。

それが何か?と聞くと、

学級の約束ができていないというわけである。一般的な管●職の感覚なのだろう。

約束とは?と聞く。

立ち歩きや大声、が目立つという。

一応、もう一つ断っておくが、ぼく(担任)の立ち歩きや大声ではない。

子どものである。

その度に思うことは、いやいや昨年だって間違いなく、立ち歩きや大声があって、それを注意してきたでしょ?ということ。

そして心配が早すぎる。

「約束にします」って言えば、

あるいは、きつく怒ればなくなると本気で思っているのか?

寧ろ、そんな簡単にできるならやっていただきたい。できないから絶対、笑

これまでに出会った子どもたちの、立ち歩きや大声、奇声が、なぜ無くなったのか考えてみたが思い出せない。

ただ、その表面的なことのみを取り上げてもダメだろう。というのはいつも思ってきた。

もっともっと根っこにある部分を温めなければいけない。

それには、長い時間と試行錯誤、そして仲間との繋がりみたいなものが必要だと、毎年思ってきた。

恒例行事に対して、

あーそういうことが見えないんだなぁ仕方ないなぁとか、

心配してくれてるんだなぁありがたいなぁと、

大らかに受け入れられるよう成長していきたい。

今までだって、みんなで授業を楽しむことができるようになったわけだし、

立ち歩きや大声だって、だんだんだんだんなくなっていった。

そんなことを心の支えにして、

ぼくができることは、一日一日を、ゆっくり丁寧に積み重ねるだけである。

本当それしか思いつかない。

申し訳ないが、恒例行事の「煽り」にのっかることはない。

寧ろ、そこに「引っ張られない」ことこそが、

ぼくにとって必要な最初の手立てである。

これも、恒例行事である。

今日は、久々に山崎さんにお会いできた。

たくさんお話をする中で、今までの子どもたちのことを思い出したり、

山崎さんの担任時代の情景がまた一つ思い浮かんできたりした。

そんなことを通して、今まで通りやっていくのが一番だなぁと、

また一層、肩の力が抜けたというか、

来週からも大丈夫そうだと確認できた。

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